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地名の由来が一目でわかる!


by baba72885

古代三関と「勿来関」の地名由来

 古代三関(さんげん)は、北陸道の「愛発関」、東山道の「不破関」、東海道の「鈴鹿関」だが、いずれも近江国から東国への出口に位置しており、古代近江朝を守るための軍事目的で設置されたといわれている。その地名由来はその関跡とともに不明な点が多い。「愛発(あらち)関」の跡は不明だが、滋賀県と福井県境をいく疋田街道の要所に置かれていたことは間違いない。「あらち」とは「あらし」と同じく、山の急斜面の意味である。美濃国不破郡に置かれたので、「不破(ふわ)関」としたのだが、「ふわ」とはふわふわ、ぶわぶわした湿地の意味だ。この関跡は発掘調査され、全貌が明らかになりつつある。「鈴鹿関」跡もはっきりしないが、最近亀山市関町にその候補地が見つかった。関という地名が暗示してはいるが、果たして真実か。「すずか」は伊勢国鈴鹿郡からきているが、その意味は茫洋としてつかめない。語源辞典では、笹の生える土地、急傾斜地、遊水池とか、いろいろの説明がしてあるのだが。                                        ところで、三関といえば「奥州三古関」がある。福島県いわき市の東海道「勿来(なこそ)関」は、蝦夷の南下を防ぐ施設として、蝦夷よ「来る勿(な)かれ」という意味で「なこそ」としたとまことしやかにささやく人がいるが、それは違います。現地へ行って分かったことは、そこにある「文学歴史館」なるものを見るにつけ、どうもこの関は架空の産物ではないかということだ。そこに古くからある「名古曽(なこそ)」という地名に目をつけた江戸時代の平藩が、歌枕で有名な「勿来」はここだとばかりに「碑」を立てて観光客を引き寄せようとしたに違いない。今の勿来関跡は、海岸の高い丘の上にあり、街道が通過していたとも思われない。名古曽は、なだらかな海岸の狭い平坦地を表す地形用語で、現地にふさわしい福島県白河市の「白河関」は社川の谷平野にその関跡が比定されており、その地名由来は「白川」と同じく、澄んだ清流の意味だ。北陸道「鼠ヶ関」は、越後と出羽の国境、山形県鶴岡市にある。「ねず」は嶺(ね)と接尾語の「つ」なのか、ねちねちした土地なのか、ねじ曲がったところ、といろいろ考えられるが、現地をよく見てみないとわからない。古代三関と「勿来関」の地名由来_c0134145_1005972.jpg古代三関と「勿来関」の地名由来_c0134145_1041158.jpg
by baba72885 | 2009-07-24 20:19