地名の由来が一目でわかる!


by baba72885

渡来人ゆかりの地名

訪ねまほしき渡来人の里                                                      中国春秋時代(BC5世紀)の「呉」「越」の熾烈な戦いのさなか、多くの落人がボートピープルとなり、黒潮に乗って日本にたどり着いたといわれている。彼らは日本に稲作を伝えたのだろうか。まさか瀬戸内海の「呉」や北陸の「越前・越中・越後」が彼らの故郷の地名ではあるまいが・・・。ただ、後の世には「呉」の故地から来た渡来人によって、「呉服」や「呉音」という漢字の読みが伝わっている。中国・朝鮮半島からの渡来人は、遠く氷河時代から縄文・弥生時代まで連綿と続き、歴史時代になっても、戦乱時の亡命者のみならず、古代日本国の基礎作りに貢献した文化人や技術者集団等が渡来した。                              ○渡来人関係の記録を年表で見よう(参考)「新編日本史図表」第一学習社            4C中ごろ 王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)ら渡来                        404 倭軍、高句麗に敗北                                         4C中~5Cごろ 朝鮮半島の戦乱で渡来人が増加                           513 百済より「五経博士」渡来                                       540 渡来人の戸籍を編む                                         577 百済から造仏・造寺工が渡来                                    608 新羅人が多く渡来                                           609 肥後国に80人の百済人漂着                                    610 高句麗から曇徴(どんちょう)が渡来し、紙の製法を伝える。                  660 百済滅亡                                                 663 白村江の戦いで、日本・百済連合軍大敗                             666 百済人2千余人を東国に移す                                    668 高句麗滅ぶ                                               669 近江国蒲生郡に百済人700余人を移す                                       滋賀県日野町から東近江市にかけて百済人が配され、旧愛東町には名高い「百済(ひゃくさい)寺」がある                                           676 新羅が半島を統一                                           684 百済人23人を武蔵国に移す                                     687 高句麗人56人を常陸国、新羅人14人を下毛野国に置く                   689 新羅人を武蔵国、下毛野国に置く                                  711 上野国に多胡郡設置                                         715 新羅人を移し、美濃国席田郡設置                                        岐阜県本巣市席田(むしろだ)として、地名に残っている                 716 高句麗人1779人を、東国の七国に置く 同年武蔵国高麗郡設置                  埼玉県日高市から飯能市南高麗あたりが「武蔵国高麗郡」であった。日高市には「高麗山聖天院」と「高麗神社」、JR[高麗川駅」、西武線「高麗駅」がある。東京都狛江(こまえ)市には、高句麗系とみられる「亀塚古墳」がある。神奈川県大磯町高麗は花水川の右岸にあり、付近には「高来神社」がある。また、相模一ノ宮のある「高座(こうざ・たかくら)郡」は高句麗系渡来人によって開拓された地である。山梨県巨摩(こま)郡や東京都狛江(こまえ)市も高句麗系にゆかりの地名だ。狛江市には多摩川左岸に駒井(こまい)町があり、「こまえ」から派生した地名だろう。
                                   758 新羅人74人を武蔵国に移し、新羅郡設置 
 埼玉県新座市・和光市・朝霞市・志木市周辺がこの「新羅郡」とされている。「新羅郡」は後に「新座(しらぎ)郡」と表記され、新座の字面からやがて「にいざぐん」と言うようになった。                760 新羅人131人を武蔵国に移す。                                                                                   ○ 渡来人の面影を求めて旅してみよう                                                                                             《コマ・コウライ》                                                  狛犬 高麗人参 独楽 駒(馬は中国から)                  三重県伊勢市高麗広(こうらいびろ)は伊勢内宮から五十鈴川を遡った山間の里で、紅葉の名所でもある。京都府の南部、木津川を挟んで、精華町「下狛」と木津川市山城に「上狛」があり、JRや近鉄線の駅名にもなっている。大阪府柏原市一帯は旧若江郡「巨麻郷」、渋川郡許麻(こま)、大県郡「巨麻郷」の地である。奈良県桜井市狛は三輪山の南東にあり、名刹長谷寺にも近い初瀬川流域の集落だ。付近には竜谷・出雲・初瀬・白河等の地名がありそれぞれ歴史的な由緒を感じる。鳥取県大山町高麗はもとは高麗村であり、高麗小学校、公民館の高麗分館がある。鹿児島市高麗町は市街地の中に位置している。蛇足だが「新宿コマ劇場」はその舞台が独楽(コマ)のように回るから名づけられたという。                                            《カラ》                                                       日本人は古くから、はるか遠く中国・朝鮮半島やインドを「唐(から)」「天竺(てんじく)」と言い慣わしている。佐賀県の唐津や福岡県の唐泊、鹿児島市の唐湊は海外への出港地を示す地名だろう。奈良県田原本町唐古(からこ)は韓(から)からの渡来人の住んだ地と言われている。島根県大田市仁摩には「韓島」という小さな島があり、大田市大浦のことをかつては「韓浦」と呼んでいたこともあり、「韓神新羅神社」の存在からしても朝鮮半島からの渡来人を思わせる。「カラ」が訛った地名になって残っているのが、群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町とそこを流れる鏑(かむろ)川がある。また、群馬県多野郡万場町と中里町が合併して出来た神流(かんな)町は清流神流川からとった名前で、やはり「から」から発音が転訛したものだ。多野郡吉井町には国指定特別史跡の「多胡(たご)碑」がある。この碑文は謎が多いが、711年にこの地に「多胡郡」を設置したことが見える。果たして、多胡とは多くの渡来人を意味するといわれているのだが。                             《シラキ シラギ》                                                宮城県柴田郡川崎町支倉(はせくら)はかつての「陸奥国柴田郡新羅郷」だ。支倉には新羅人の供養塔があり、渡来人への熱い思いを感じる。福井県敦賀市白木は新羅人の名からきた地名で、そこに「白城(しらぎ)神社」がある。福島県猪苗代町白木城(しらぎじょう)、鹿児島県大口市白木も新羅人ゆかりの地で「新羅神社」がある。大阪市の住吉大社の神宮寺を「新羅寺」ということからすると、その付近に新羅人が居住地したことを思わせる。なお、全国各地にある「新羅神社」「新羅明神」は「御神体」が移動していったと考えられ、そこが必ずしも新羅人の渡来地とはいえない。(長野県阿智村「新羅明神社」 岐阜県多治見市「新羅神社」 新潟県上越市関山「新羅明神」 山形県高畠町「新羅神社」 青森県南部町「新羅神社」 山梨県南部町「新羅神社」 滋賀県大津市膳所「新羅明神」 京都府宇治市「新羅神社」 大阪府河南町「白木神社」 大阪市浪速区「白木神社」 兵庫県姫路市「新羅大明神」 岡山県瀬戸内市「牛窓「新羅明神」 島根県大田市「韓神新羅神社」等)                       《クダラ》                                                      奈良県広陵町百済には「百済寺」があり、集落は曽我川と葛城川に挟まれた条里制のしかれた水田地帯にある。大阪市平野区から生野区あたりは古くから渡来人が住み、平野区の平野川に架かる橋を「百済橋」といい、旧平野川を「百済川」といった。滋賀県東近江市には名刹の百済寺(ひゃくさいじ)がある。熊本県の八代市久多良木には百済来川が流れ、百済来地蔵堂がある。宮崎県美郷町の旧南郷村には「百済の里」がある。滅びた百済の王族が流れ着いた地であり、ゆかりの神社や古墳もあるということで、村おこしの一翼を担っている。                                左《奈良県広陵町百済》       右《西武鉄道高麗駅》c0134145_22215541.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     c0134145_1951441.jpg
[PR]
by baba72885 | 2007-12-13 19:38