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地名の由来が一目でわかる!


by baba72885

加賀は草っ原か 東京同地名物語(その2)

〈ひらかわ〉 千代田区には平河町が二つある。JR秋葉原駅東の神田川北岸に、神田平河町があり、その由来は神田川の古名である「平川」である。一方、最高裁判所の裏手にある平河町には真ん中に「平河天満宮」があり、早くから開かれた土地を思わせる。また、天満宮の北には東西に「平一中央通り」があり、ひらかわは地形的に「平らな側」を意味するように思える。また、南の永田町の水田地帯に遅れて開墾された場所を意味する「新開地」とも考えられる。                           〈たかだ) 中野区上高田は北に松が丘へと続き、妙正寺川沿いの低地である中井、新井、江古田、沼袋とは対照的な地形だ。また、豊島区高田は北に雑司が谷を控え、目白台から続く台地状の地域だ。いずれも高燥地であり、水田には適さない場所と考えると、単に高所(たかと)や高畑(たかはた)が訛ってたかだになったと考えたい。                  〈たかまつ〉 豊島区高松、練馬区高松ともに周辺地域より高くなっている地域だ。練馬区立高松小学校の校歌には「松ノ木」や「ときわの松」が唄われており、両方とも植物の「松」に由来すると考える。         〈ふじみ〉 高松小学校の校歌には両方とも「富士山」が登場する。かつてビルの建つ前の東京では、ちょっとした高台や坂上から富士山が望めたことで、「富士見坂」の地名は十指に余る。練馬区富士見台は隣接する高野台と同じく住宅街となっており、昭和39年に谷原地区を割いて誕生した。もともと南の中野区鷺宮にかけて「富士見」と言われていたという。千代田区富士見は飯田橋の南の都心にあり、城下町として発展してきた町だ。板橋区富士見町は常盤台に続く住宅地で、隣の前野町には富士見台小学校がある。全国の「富士見」地名の中には富士山とは関係なく、単なる瑞祥地名の場合があることに注意が必要だ。                                           〈おおやま〉 漢字のイメージは違うが、その発音から小山(おやま)が威勢よく大山になることが多い。渋谷区大山は西原、上原と隣接しており、潅木林の中でこんもりした高まりのあるところを「お山」といっていたかもしれない。板橋区大山町もやはり東武東上線沿いに何がしかの小高い丘があり、そこから地名が生まれたと思いきや、ここに大山参り(神奈川県丹沢の大山信仰)の講連中が集っていたということで、大山地区が生まれたというが・・・・。                              〈ほりのうち〉 堀内は確かに中世の豪族屋敷関係の地名ではあるが、荒川北岸の足立区堀之内は、北区堀船や葛飾区堀切と同じく、荒川と隅田川のつくる水郷地帯に発達したクリーク堀のことだろう。ものの本には地方豪族の宮城四郎兵衛何某の館に因んだ地名だとあるが、堀内のすべてが豪族屋敷村とは限らない。杉並区堀ノ内は善福寺川をまたいで南北に長い町だ。東隣の和田とあわせて和田堀村と称した時もあり、近くには和田堀公園や和田堀橋の名が残っている。ここも豪族屋敷村とするには歴史的な痕跡が無く、善福寺川とつながる堀関係の地名だろう。                 〈かが〉 かがの語源は芝原や荒地の草地をあらわす。全国にあるかが地名はほとんどがこの自然地名である。(岐阜県各務ヶ原市各務、羽島市加賀野井等) 足立区加賀は埼玉県川口市との境界にあり、葦の生い茂った荒地であったろう。付近を流れる新芝川は下流で芝川と合流し、荒川に合流する。板橋区加賀と新宿区市谷加賀は、いずれも加賀藩の屋敷跡に因む地名で、江戸東京ならではのかが地名だ。                                        
by baba72885 | 2008-01-22 19:50