地名の由来が一目でわかる!


by baba72885

<   2007年 12月 ( 2 )   > この月の画像一覧

地名が先か人名が先かといえば、そもそも名字はその拠るところの地名をつけるのが基本です。中世から戦国の世に割拠した武将を中部地方に見ると、松平氏(愛知県豊田市松平)、吉良氏(愛知県吉良町)、土岐氏(岐阜県瑞浪市土岐町)、明智氏(岐阜県可児市明智)、木曽氏(長野県木曽郡)、高遠氏(長野県伊那市高遠)、真田氏(長野県上田市真田)、諏訪氏(長野県諏訪市)等がある。一方、名前を地名から取るのは歴史的には限られた人達だけだった。たとえば、江戸吉原の位の高い遊女、宮中の最下級の女官、比叡山の悪僧(武蔵坊・土佐坊等)などがある。むしろ現代は普通に地名から取ることが多くなり、女子の名前では「梓」「伊予」「明日香」等、男子では「穂高」「大和」「甲斐」等を目にするようになった。ここでは、逆に人の名前が地名になった例を見よう。平安時代末期になると公地公民制が崩れ、有力な社寺や地方豪族、低い身分の武士達が強引に公地を囲って私有地にしたり、新たに土地を開墾したりして荘園にした。そこには新しい地名が必要になり「本荘・領家・地頭・京田」等の他に、「○○荘」という地名をつけた。さらに新たな荘園を拡大すると、そこに「加納・別所・別府・一色」等の納税関係の地名が全国に広がった。そんな荘園の中で、名主や土豪の名前が地名となっている集落を「名田百姓村」という。地名としては「○○丸」(高知県香美市太郎丸、愛知県稲沢市治郎丸、北九州市小倉北区三郎丸、仙台市四郎丸、富山県砺波市五郎丸、大分県宇佐市六郎丸、福岡県久留米市十郎丸・田主丸・仁王丸・宮崎県国富町宮玉丸)や「○○名」(香川県高松市地頭名)等がかなり残っているが、「丸」は尊い人の「麿(まろ)」からきており、いささか遠慮をして「丸」としたものだ。もっとも、麿の由来はマラ(男根)からきていることをご存知だろうか。全国各地にある「徳丸・大丸・金丸・米丸・福丸・烏丸・秋丸・王丸・松丸・歌丸」等も名主の名前に因んでいると思われる。柳田国男は当時名主の名前に人気のあった文字(久・延・貞・利・元・友・光・宗・充・福・徳・富・重等)をあげ、名田百姓村の地を知ることができるとしている。ちなみに広島県世羅町には「京丸・三郎丸・金剛丸・行貞・国久・重永」があり、隣の尾道市には「清宗・家貞・有光・安延・元広・金光・重広・別所・公文・九門田」等がみえ、名主の開墾荘園の宝庫である。次に、江戸時代に新田を開発した人物名が地名になっている例を見よう。乏水地の台地を開墾した岐阜県各務原市吉兵衛新田(今は吉新町)、埼玉県所沢市安松新田等がある。沖積平野の低湿地帯として、新潟県鳥屋野潟のほとりにある新潟市清五郎、同市西川町兵右衛門、木曽三川の輪中にある岐阜県海津市七右衛門新田、利根川沿いの茨城県河内町平三郎、茨城県古河市三和町長左衛門新田、同県坂東市勘助新田、静岡県藤枝市善左衛門、同県静岡市与左衛門新田、愛媛県西条市新兵衛等がある。山間地の斜面に薙畑(焼畑)を切り開いた人物名に、岐阜県中津川市権四郎薙(通称ごんしなぎ)がある。その他歴史的に何らかの由緒がある人名の地名がある。長野県の伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛峠の名は、元禄時代に木曽日義村の古畑権兵衛が伊那の米を木曽に運ぶために峠道を整備したことからつけられた。東京有楽町は織田信長の弟の有楽斎の屋敷、八重洲は家康の外交顧問のヤン=ヨースチンの屋敷、目黒の権之助坂は坂を切り開いた名主の名前に因んでいる。他に、岩手県紫波町五右衛門峠、山形県米沢市弥兵衛平、福島県北塩原村甚九郎山、群馬県尾瀬の治右衛門池、長野県塩尻市平四郎沢、山口県岩国市源九郎山、海に突き出た宮崎県延岡市作兵衛鼻等がある。名字が地名になった例は多くない。岐阜県の旧海津郡平田町(現海津市)は木曽三川の治水工事に命をささげた、薩摩藩家老の平田靭負(ゆきえ)の名をとったものだ。名古屋市東区徳川は尾張徳川家からいただいたものであり、愛知県豊田市はトヨタグループの創始者豊田佐吉翁の名であることは良く知られたところである。東京赤坂の乃木坂は言うまでもなく、乃木希典大将の名前だ。ほかに東京は、旧幕藩時代の武家にまつわる地名が多い。なお、北アルプスの野口五郎岳、黒部五郎岳の名は、岩が「ゴロゴロ」している山の意味であり、熊本県芦北郡にある赤松太郎峠、佐敷太郎峠、津奈木太郎峠、大分県北川町宗太郎越の「太郎」は「たら・たろ・たる」というなだらかにたるんだ地形名を意味している. ところで、石川県小松市の安宅ノ関にある人名地名は当然「義経」かと思いきや、何と「義仲町」だ。都に上る際に通過したのだろう。愛知県新城市信玄は、間違いなく武田信玄ゆかりの地名だ。
   左《滋賀県東近江市の黒丸PA》c0134145_18342418.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                            
[PR]
by baba72885 | 2007-12-28 20:47

渡来人ゆかりの地名

訪ねまほしき渡来人の里                                                      中国春秋時代(BC5世紀)の「呉」「越」の熾烈な戦いのさなか、多くの落人がボートピープルとなり、黒潮に乗って日本にたどり着いたといわれている。彼らは日本に稲作を伝えたのだろうか。まさか瀬戸内海の「呉」や北陸の「越前・越中・越後」が彼らの故郷の地名ではあるまいが・・・。ただ、後の世には「呉」の故地から来た渡来人によって、「呉服」や「呉音」という漢字の読みが伝わっている。中国・朝鮮半島からの渡来人は、遠く氷河時代から縄文・弥生時代まで連綿と続き、歴史時代になっても、戦乱時の亡命者のみならず、古代日本国の基礎作りに貢献した文化人や技術者集団等が渡来した。                              ○渡来人関係の記録を年表で見よう(参考)「新編日本史図表」第一学習社            4C中ごろ 王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)ら渡来                        404 倭軍、高句麗に敗北                                         4C中~5Cごろ 朝鮮半島の戦乱で渡来人が増加                           513 百済より「五経博士」渡来                                       540 渡来人の戸籍を編む                                         577 百済から造仏・造寺工が渡来                                    608 新羅人が多く渡来                                           609 肥後国に80人の百済人漂着                                    610 高句麗から曇徴(どんちょう)が渡来し、紙の製法を伝える。                  660 百済滅亡                                                 663 白村江の戦いで、日本・百済連合軍大敗                             666 百済人2千余人を東国に移す                                    668 高句麗滅ぶ                                               669 近江国蒲生郡に百済人700余人を移す                                       滋賀県日野町から東近江市にかけて百済人が配され、旧愛東町には名高い「百済(ひゃくさい)寺」がある                                           676 新羅が半島を統一                                           684 百済人23人を武蔵国に移す                                     687 高句麗人56人を常陸国、新羅人14人を下毛野国に置く                   689 新羅人を武蔵国、下毛野国に置く                                  711 上野国に多胡郡設置                                         715 新羅人を移し、美濃国席田郡設置                                        岐阜県本巣市席田(むしろだ)として、地名に残っている                 716 高句麗人1779人を、東国の七国に置く 同年武蔵国高麗郡設置                  埼玉県日高市から飯能市南高麗あたりが「武蔵国高麗郡」であった。日高市には「高麗山聖天院」と「高麗神社」、JR[高麗川駅」、西武線「高麗駅」がある。東京都狛江(こまえ)市には、高句麗系とみられる「亀塚古墳」がある。神奈川県大磯町高麗は花水川の右岸にあり、付近には「高来神社」がある。また、相模一ノ宮のある「高座(こうざ・たかくら)郡」は高句麗系渡来人によって開拓された地である。山梨県巨摩(こま)郡や東京都狛江(こまえ)市も高句麗系にゆかりの地名だ。狛江市には多摩川左岸に駒井(こまい)町があり、「こまえ」から派生した地名だろう。
                                   758 新羅人74人を武蔵国に移し、新羅郡設置 
 埼玉県新座市・和光市・朝霞市・志木市周辺がこの「新羅郡」とされている。「新羅郡」は後に「新座(しらぎ)郡」と表記され、新座の字面からやがて「にいざぐん」と言うようになった。                760 新羅人131人を武蔵国に移す。                                                                                   ○ 渡来人の面影を求めて旅してみよう                                                                                             《コマ・コウライ》                                                  狛犬 高麗人参 独楽 駒(馬は中国から)                  三重県伊勢市高麗広(こうらいびろ)は伊勢内宮から五十鈴川を遡った山間の里で、紅葉の名所でもある。京都府の南部、木津川を挟んで、精華町「下狛」と木津川市山城に「上狛」があり、JRや近鉄線の駅名にもなっている。大阪府柏原市一帯は旧若江郡「巨麻郷」、渋川郡許麻(こま)、大県郡「巨麻郷」の地である。奈良県桜井市狛は三輪山の南東にあり、名刹長谷寺にも近い初瀬川流域の集落だ。付近には竜谷・出雲・初瀬・白河等の地名がありそれぞれ歴史的な由緒を感じる。鳥取県大山町高麗はもとは高麗村であり、高麗小学校、公民館の高麗分館がある。鹿児島市高麗町は市街地の中に位置している。蛇足だが「新宿コマ劇場」はその舞台が独楽(コマ)のように回るから名づけられたという。                                            《カラ》                                                       日本人は古くから、はるか遠く中国・朝鮮半島やインドを「唐(から)」「天竺(てんじく)」と言い慣わしている。佐賀県の唐津や福岡県の唐泊、鹿児島市の唐湊は海外への出港地を示す地名だろう。奈良県田原本町唐古(からこ)は韓(から)からの渡来人の住んだ地と言われている。島根県大田市仁摩には「韓島」という小さな島があり、大田市大浦のことをかつては「韓浦」と呼んでいたこともあり、「韓神新羅神社」の存在からしても朝鮮半島からの渡来人を思わせる。「カラ」が訛った地名になって残っているのが、群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町とそこを流れる鏑(かむろ)川がある。また、群馬県多野郡万場町と中里町が合併して出来た神流(かんな)町は清流神流川からとった名前で、やはり「から」から発音が転訛したものだ。多野郡吉井町には国指定特別史跡の「多胡(たご)碑」がある。この碑文は謎が多いが、711年にこの地に「多胡郡」を設置したことが見える。果たして、多胡とは多くの渡来人を意味するといわれているのだが。                             《シラキ シラギ》                                                宮城県柴田郡川崎町支倉(はせくら)はかつての「陸奥国柴田郡新羅郷」だ。支倉には新羅人の供養塔があり、渡来人への熱い思いを感じる。福井県敦賀市白木は新羅人の名からきた地名で、そこに「白城(しらぎ)神社」がある。福島県猪苗代町白木城(しらぎじょう)、鹿児島県大口市白木も新羅人ゆかりの地で「新羅神社」がある。大阪市の住吉大社の神宮寺を「新羅寺」ということからすると、その付近に新羅人が居住地したことを思わせる。なお、全国各地にある「新羅神社」「新羅明神」は「御神体」が移動していったと考えられ、そこが必ずしも新羅人の渡来地とはいえない。(長野県阿智村「新羅明神社」 岐阜県多治見市「新羅神社」 新潟県上越市関山「新羅明神」 山形県高畠町「新羅神社」 青森県南部町「新羅神社」 山梨県南部町「新羅神社」 滋賀県大津市膳所「新羅明神」 京都府宇治市「新羅神社」 大阪府河南町「白木神社」 大阪市浪速区「白木神社」 兵庫県姫路市「新羅大明神」 岡山県瀬戸内市「牛窓「新羅明神」 島根県大田市「韓神新羅神社」等)                       《クダラ》                                                      奈良県広陵町百済には「百済寺」があり、集落は曽我川と葛城川に挟まれた条里制のしかれた水田地帯にある。大阪市平野区から生野区あたりは古くから渡来人が住み、平野区の平野川に架かる橋を「百済橋」といい、旧平野川を「百済川」といった。滋賀県東近江市には名刹の百済寺(ひゃくさいじ)がある。熊本県の八代市久多良木には百済来川が流れ、百済来地蔵堂がある。宮崎県美郷町の旧南郷村には「百済の里」がある。滅びた百済の王族が流れ着いた地であり、ゆかりの神社や古墳もあるということで、村おこしの一翼を担っている。                                左《奈良県広陵町百済》       右《西武鉄道高麗駅》c0134145_22215541.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     c0134145_1951441.jpg
[PR]
by baba72885 | 2007-12-13 19:38