地名の由来が一目でわかる!


by baba72885

<   2009年 06月 ( 5 )   > この月の画像一覧

  喉(のど)の名が、「飲む・処(ど)」からの転訛なら、口は「食う・ち」で、食べる場所の意味だ。山口や谷口、井口、原口等は人間の口を意識して、出入り口の意味の地名だろうが、口地名には他の意味もある。 「大口」地名等を例に、各地の口地名の由来を探る。                                      ① 入り江や湾の有様を口に例えた集落の地名
三重県松阪市大口・・入り江
熊本県宇城市大口・・今はかなり水田になっているが、かつては小さな湾
横浜市神奈川区大口・・「入江」地名も隣接し、やはり入り江の意味だ。
長崎市琴海町小口・・小さな入り江
② 海峡の名前
長崎県対馬市の大口瀬戸・・浅茅湾への出入り口
石川県七尾市の大口瀬戸・小口瀬戸・・それぞれ七尾北湾、南湾の出入り口
長崎県大村湾の大口瀬戸・小口瀬戸・・形上湾への出入り口
島根県隠岐の島前の大口・・中ノ島と知夫里島の間の海峡、ちなみに中ノ島と西ノ島の間の海峡を「中井口」という。
③ 「くち」は、「朽ちる」の意味で、岩石がもろくなり、崩れやすい崖地形を表す。各地の「串(くし)」や「鯨(くじら)」地名と同源だ。
岐阜県東白川村大口・・白川と大口南谷川の合流点の小集落
宮崎県綾町大口・・本庄川の渓谷にあり、付近には「千尋(せんびろ)の滝」がある。                             宮城県大崎市鳴子大口・・江合川の谷の大字名で、小字には鷹ノ湯・馬場・赤湯・川渡・沼井等がある。
④ 「くち」は「ぐちょぐちょ」とか、「ぐちぐち」・「じくじく」した湿地を表す。 
湿地にはいろいろな地形名がついているが、「海」地名もその一つだ。地面が膿(う)んで「膿(うみ)」のようになった場所だ。長野県南牧村海ノ口は「膿んでぐちょぐちょした」まさに湿地を代表する地名だ。海ノ口は同じく長野県大町市にもある。JR大糸線「海ノ口」駅が木崎湖岸にあり、集落は東海ノ口、西海ノ口としてある。ただし、こちらはフォッサマグナの急崖下の集落であることから、木崎湖を海と呼び、 口は崖地形かもしれない。
秋田県三田種町大口・・八郎潟の沿岸の水田地帯
茨城県板東市大口・・菅生沼に注ぐ東仁連川沿いの低湿地
埼玉県さいたま市岩槻区大口・・元荒川の後背湿地で、集落は自然堤防上にある
新潟県長岡市大口・・新潟平野、刈谷田川と猿橋川に挟まれた低湿地
石川県辰口町大口・・付近には出口、三ツ口地名がある水田地帯だ
香川県まんのう町大口・・大口川のつくった谷平野
宮崎県西都市右松大口・・鬼付女川の上流に開けた水田地帯              鹿児島県伊佐市大口・・旧大口市の名前で、大口盆地の湿地帯か
なお、愛知県大口町は、丹羽郡太田村と小口村の合成地名                   左《東白川村大口》               右《長岡市大口》c0134145_18245729.jpgc0134145_18581022.jpg
[PR]
by baba72885 | 2009-06-28 11:13
「田毎(たごと)の月」で有名な長野県千曲市姨捨(おばすて)は、姥捨(うばすて)伝説の里でもある。楠山正雄の説話「姨捨山」や、深沢七郎の小説「楢山節考」は、ここ信州の伝説をもとにしたものだ。遡れば、950年ころの「大和物語」や、1060年ごろの「今昔物語」に同じような伝説がのっている。                            どの漢和辞典を見ても、姨捨の「姨」には、老いた母や、老婆の意味は無く、「姨」は、母の姉妹、妻の姉妹、めかけ、父の側室等の意味なのだ。信州の「姨捨」はやはり、母を早く無くした男が、親代わりに育ててくれた老いた伯母を捨てる話だ。ここの「姨捨」を題材にしたテレビの「マンガ日本昔ばなし」の「うばすて山」では、息子に「おっかー・・」と言わせているが、あくまでも育ての母として理解すべきだ。また、ほとんどの国語辞書類では老いた伯母を捨てる話を載せているが、唯一講談社の「日本語大辞典」では、老いた母を山に捨てる話にしているが、「姨」の意味からすると、母親代わりの伯母と注釈を入れないと勘違いをする。
今村昌平監督・脚本の東映映画「楢山節考」も、見る限り実母のような扱いになっている。                             「姨捨」の地名由来に二つの説がある。千曲市のこのあたりにかつて、小さな川の流れ出る場所を意味する「お初瀬・小泊瀬(おはつせ)」と呼ばれる地があり、この発音が「姥捨伝説」と重なって「おばすて」となった説。この瀬は、更級川の最上流だろう。また、崖や傾斜地の意味の「ウバ(奪)・ステ(捨)」から「おばすて」に転訛した説。確かに付近はこのような地形の典型的な場所だ。c0134145_9474183.jpgいずれも「おば」という発音にこだわり、「姥(うば)」ではなく「姨(おば)にしたのだろうか。                             ちなみに、かつてテレビ放映された火曜時代劇「怪談百物語」では、「姥捨て山」のタイトルである。JR篠ノ井線「おばすて(姨捨)」駅のある「姨捨」はあくまで、千曲市の固有名詞であることがわかる。                             さて、ことのついでに各地にある「姥ヶ懐(うばがふところ)」地名をあげる。「姥が懐」とは、多くは南に面した日当たりの良い場所を意味し、あたかも乳母(うば)の懐に抱かれているような地形名だ。「うば」には、「乳母・祖母・姥」等の字が与えられている。愛知県瀬戸市には「祖母懐」と書いて「そぼかい」と読ませている所がある。まさに姥が懐の地形をよく表している場所だ。                                      山形県上山市姥が懐、宮城県村田町姥が懐、福島県伊達市姥ヶ懐、茨城県ひたちなか市姥の懐、岐阜県八百津町姥が懐、愛知県新城市姥が懐、徳島県阿波市姥ヶ懐              《長野自動車道姨捨サービスエリア》                       c0134145_2018547.jpg
[PR]
by baba72885 | 2009-06-24 09:18
能登や富山からの帰りに何度か通過することがあり、ずっと気になっていた地名に、岐阜県飛騨市神岡町の「土」という地名がある。一音の地名は始源的な日本語の残照で、好感が持てる。「土」だから、木材の集積地の「土場」の意味か、川の流れる「どどう」という音から来ているかと思っていたが・・・。                             中部地方の山岳地帯には「○○渡(ど)」という地名が集中している。岐阜県から木曽川を遡った長野県木曽郡木曽町には、「黒川渡」がある。木曽川に西から流れ込む黒川が合流する地点の地名だ。さらに上流は「源流の里」と銘打って観光PRしている木祖(きそ)村がある。ここで、国道19号線から分かれた県道26号線は、上高地方面に向かって古代の美濃と信濃の国境であった境峠を越える。峠を下った所には、松本市奈川に「寄合渡」がある。集落の中心で野麦街道との三叉路を成しているが、街道が寄合うのではなく、奈川と境川の合流点を表している。もう少し下ると、旧奈川村の中心地の「黒川渡」に着く。黒川と奈川の合流点だ。そこからしばらく下るとやがてダム湖の右岸を行き、ダムの堰堤に至る。奈川が梓川に合流する地点に、東京電力は「奈川渡ダム」を建設した。ここから国道158号線を上高地に向けていくつかトンネルをくぐると、旧安曇村の「前川渡」の鉄橋が見えてくる。乗鞍高原から流れ出る前川が、梓川に合流している。さらに上流に行くと「沢渡(さわんど)」があり、根木ノ沢が梓川に入る場所だ。沢渡は上高地への入山基地で、今はマイカー規制によりここでバスやタクシーに乗り換えることになる。30数年前には、マイカーで自由に上高地を散策できたことが、今となっては懐かしい。さらに上高地方面に登って行くと中ノ湯温泉があるが、そこに「湯川渡」がある。大正池から流れ出た梓川が湯川と合流する場所だ。                                     所変わって、長野県白馬村にも「沢渡(さわど)」がある。姫川に流れ込む小さな沢の合流点だ。地図を南にたどってみよう。静岡県川根町には、笹間川が大井川に合わさる地点に「笹間渡」という集落がある。また、岐阜県恵那市串原には「川ヶ渡(かわかど)」があり、旧串原村の役場があった。そこはまさに「川の渡」で、明智川と矢作川が合流している。先の、飛騨市の「土ど」は確かに跡津川が高原川に合流するところにある地名だが、「渡」でなく「土」であるところから、合流点に由来する地名でないかもという不安がよぎるが、峡谷の狭い段丘面にある集落は、合流点とともに、居住可能な「場所」を強調して「ど土」という地名になったと思う。                                日本語の「ど」は、「喉のど」「竈くど」「宿やど」「井戸いど」「窓まど」「陰ほど」等の例からして「ある場所(the place)」を示していることは間違いない。新潟県佐渡、熊本県天草市本渡なども、場所の意味だ。6月13日・14に佐渡汽船の、直江津ー小木間フェリーを使い佐渡島に行って来た。小泊の写真を取り損ねて残念だったが、「佐渡歴史伝説館」では元気に働いて見えるC・R・ジェンキンスさんの姿が見られて良かった。彼の著書である角川文庫の「告白」を購入したところ、裏表紙に直筆サインをいただきました。                                                                                                                                                                                                              c0134145_21125324.jpgc0134145_21131216.jpg
[PR]
by baba72885 | 2009-06-12 21:07
 多摩川の源流は、山梨県甲州市塩山から丹波山村を経て流れ出る「丹波(たば)」川だ。したがって、多摩の地名由来は「たば」が訛って「たま」になったに違いない。丹波山村には「丹波」、下流の東京都奥多摩町には「小丹波(こたば)」「大丹波(おおたば)」があることから、多摩川上流域を「たば」といっていたのだろう。塩山から柳沢峠を越える「青梅街道」は、至る所で道路の直線化や崩落防止の改修工事やが成されていたが、丹波川の渓谷は道路が曲折し、断崖絶壁の連続だ。「たば」とはなにか。言葉的には、信長がよく使いそうな「タワケ者めが!」とか、お市の方の「殿のおタワ(戯)むれもいい加減に・・」の「タワ」に語源がある。「タワゴト(戯言)」とか、岐阜県恵那弁の「おんしはダバイタコトするなー」というふうに使う言葉だ。つまり、人の様子がふつうでなく、崩れたような悪ふざけの状態をいう。 奥多摩の秘境はまさにこの「ダバイタ」地形であり、山間峡谷の小平坦地にしがみついて暮らしている地域だ。「タワム(撓)」「タフル(倒)」なども同類の言葉だ。ひょっとすると国語辞書にある「タマゲル(魂消る)」という言葉も、魂が消えるほどびっくりするというのではなく、驚くほど「タワ(戯)ケル」ということからきた言葉ではないのか。                                        さて、日本武尊伝説のある伊吹山の麓、岐阜県関ヶ原町には「玉(たま)」という集落がある。北国街道沿いのひっそりしたところだが、「日本書紀」の壬申の乱の記事に見える「玉倉部」という地名に比定されている。やはり斜面や崖地を意味する「タバ」と「クラ」が強調されている地名だ。千葉県東金市田間は台地を西に控えた水田地帯にあり、単純に田んぼの間(ま)・庭(ば)かもしれない。直ぐ近くには「道庭(どうにわ)」という地名もある。沖縄県うるま市田場は、緩い斜面の集落だ。                                 香川県三豊市財田町二は、「昼丹波(ひるたんば)」という地名がある。果樹園と水田が織りなす山間地であるが、近くに「比留田神社」があることから、「ひるた・ば」が訛った地名かもしれない。                       丹波といえばむしろ旧国名の丹波国が有名だが、読みは「たんば」と音便化している。京都府京丹後市峰山町には「丹波」という集落があり、ここが国名の本貫の地とされている。その地名由来は「田庭(タニハ)」が転訛して「タンバ」になったというわけだ。「田庭」とは、良い耕地のある住み易い所と言う意味だという。竹野川がつくった大宮から峰山にかけての平坦地は、当時の人には「まほら(まほろば)」に思えたのだろうか。旧の中郡(なかぐん)であったことからしても、中心地であったに違いない。奈良県天理市の中心は丹波市町だが、もちろん奈良盆地特有の旧国名の名である「丹波」に因む地名だ。
左《山梨県丹波山村の風情6月20日》右《京丹後市峰山町丹波7月4日》c0134145_21415186.jpg
c0134145_23533052.jpg
[PR]
by baba72885 | 2009-06-03 11:20
1 恵那と恵那雑巾(恵那人の気質を表す俗称)
ここで言う恵那(かつては恵奈)は旧恵那郡のことで、恵那市のことではありません。
奈良時代に国(律令政府)が、広大な土岐郡を割いて新設した美濃国恵奈郡(当時は現在の長野県木曽郡全域を含む)のことです。恵那は長い歴史を経て、今日恵那市と中津川市という二つの行政区になり、平成17年2月の市町村合併を期に恵那郡の名前は消えてしまいました。恵那郡の名が歴史から消滅したのはとても残念ですが、恵那の名前は至る所にあって私たちの日常の中でその存在を誇示しています。しかし、飛騨は旧字の斐太を今も使うが、旧字の恵奈が現在全く使われていないのは寂しく残念でなりません。将来は、中津川市と恵那市が合併して恵奈市と表記するのが歴史の必然だと思います。
さて「恵那雑巾」という言葉は恵那の名の特異な残照としてあり、時代とともに風化しないようにここに「恵那雑巾」の真実に迫ってみたいと思います。

2 恵那という名の由来
「えな」の名前の由来はわかり易いです。                            古代のこの地方は鄙(ひな)びた処(ところ)つまり鄙処(ひなか)→田舎(いなか)でした。奈良や京都のような文化の先進地から見れば、このあたりは遙か遠い未開な土地であり、そこに暮らしている人々と地域のことを、蝦夷(ヒナ・エビス・エゾ)と呼んでいました。そのヒナが訛(なま)ってシナやイナとなり、イナの発音が恵那(エナ)に変化しました。イイナーというのもエエナーというのも同じ意味ですね。
私たちの住む恵那の周辺地域の地名を見ると、ますますそのことがよくわかります。恵那山トンネルの向こう側は長野県の伊那(イナ)谷ですし、そこにはイナを強く発音したイダ(飯田)があります。トンネルを出たところの昼神温泉に「伊那華」というそこそこ高級な温泉ホテルがありますが、その名前をみて思わずニンマリしてしまいました。ヒナの発音からは、長野県の旧国名の信濃(ヒナノ→シナノ)や岐阜県の飛騨(ヒナ→ヒダ)の地名にもなっています。
ヒ→シやナ→ダの転訛は質屋をヒチヤとかシチヤと発音したり、境内をケイダイと発音することでもわかります。


《恵那在住、出身の古老や知識人50人に聞いてみました。(書状によるアンケート調査)》郷土の誇り、亀井俊介先生からも熱い思いの込められた回答をいただきました。ご協力していただきました皆様、本当にありがとうございました。

3 「恵那雑巾」とはどういう人ですか
・要領が少々悪くても誠意を尽くす  
・見た目を気にせず、縁の下の仕事をする
・かっこよさなど問題にせず、忍耐強く地道に努力する
・誠実、素朴、堅実
・不器用だが実直
・愚直、律儀者
・木訥でまじめ、要領のわるい田舎者
・見下されながらも、我が身をすり減らして、人の役に立とうとひたむきに努力する
・ひとの嫌がる仕事を率先してやる
・うわべの世渡り上手でなく、労を惜しまず、辛抱強く生きていこうとする
・目立ちもせず、褒められもせず、それでも地道にこつこつ努力する
・自分の身はすり減っても、相手を磨こうという強い信念のある生き方
・要領が悪い、辛抱強い、献身的、陰日向がない
・多少侮蔑的な意味もあるが、不器用だが正直で信用できる
・律儀で自己犠牲的なお人好し
・一番辛いことを受け持つ
・何事も言われるままに、支配層に屈しやすい
・無批判に嫌なことも黙々とやる、上意下達の関係においては便利な存在
・自分を売り込むことが下手                              ・見え透いたようなお世辞が言えない                         
                                          4 「恵那雑巾」の由来はどこから

・岐阜の帝国陸軍68連隊の軍隊生活において、掃除開始の時間になると兵士たちは我先にと  楽に掃除のできるほうき等の用具を取りに走る、要領の悪い恵那出身の兵士には、いつも最  後に残った雑巾があるばかり。ここから「雑巾がけをするのは恵那人」となった
・兵舎では、掃除の時西濃や岐阜の人たちは箒(ほうき)を持つが、恵那の人はバケツと雑巾  を持ったという。どんなに寒いときでも、決して要領が悪くてそうなったのではなく、自ら  進んでそうしたんだと聞いている
・旧陸軍内での恵那の出身者に対する蔑称ではないか
・68連隊内における県内出身者の動向、岐阜師範学校における出身郡別の気質などから使わ  れ、明治末期頃から言われていた
・68連隊に招集され、軍隊生活を送っていたとき、恵那出身者の要領の悪さの若干の侮蔑と 素朴さを好かれる意味で使われていた言葉ではないか
・軍隊で愚直なまでに表裏なく行動する恵那人の表現
・一般に恵那出身者は掃除にも動作が遅く、箒を持つことは目立つので手を出さず、雑巾を持 ち、寒いときでもこつこつと黙って掃除を続ける

5 これからの「恵那雑巾」
・地名と名詞の合体した言い回しは、その土地の性格または人間性をよく表していると思いま す。例えば「一宮カラス、笠松トンビ」という言葉も、考え方によってはその周辺とは人材 の質に差があることを示しているのですから価値があると考えます
・人からなんと言われようといいじゃないですか、掃除に雑巾を持つ人も必要なのですから ・そんな人間のままでいい、そんな人間のままで生きたいと思っている
・ある時代が生んだ言葉と思うが、その歴史性といい、その内実の深さの意味、重要性からも 風化させるのはもったいない。古い言葉も伝承すべきである。
・人の心が荒廃してゆく中ですばらしい言葉として残してゆきたい
・人間の生き方としては伝承すべきだと思う。言葉にはあまりこだわる必要はない
・言葉ということのみではなく、生活態度の長所として伝えていくべきでしょう。昔はこう言 われたという言葉だけなら意味がない。つまり地域の教育、親のしつけとして続けていくこ とである
・岐阜や大垣あたりの人間は近江商人の血を引いているせいか、表と裏がある。あまり信用し すぎるといつ裏切られるか分からない。心を許してつきあえるのは恵那雑巾である
                                          6 「恵那雑巾」列伝抄 (明治以降)                      

  恵那雑巾は政財界人より学者、芸術家を多く輩出している。

(財界人)
長瀬富郎 株式会社花王(花王石鹸)の創始者 (中津川市福岡)
島崎藤村とも親交があり、忍耐と正直さで花王の堅実経営の伝統思想を築いた。 城山三郎著 小説「男達の経営」(新潮文庫)の主人公のモデル
間 四郎 一橋大学卒業 三菱電機株式会社常務取締役 (中津川市中津川)
中津川に三菱電機中津川工場を誘致 中津高校の創始者間杢右エ門の四男
(学 者)
林 直助 名古屋大学医学部教授 医学博士 (中津川市川上)
ツツガ虫病の病原体発見者 ラジウム鉱泉の名泉ローソク温泉の開業者
丹羽 彌 岐阜師範卒 岐阜大学講師 恵那北高校講師 理学博士 (中津川市下野) アジメドジョウの研究(昭和天皇に御進講) 著書「木曽川の魚」他 
長島乙吉 旧制成城中学教師 アマチュア鉱物収集・研究家の草分け(中津川市苗木)
蛭川から苗木周辺で粘り強く鉱物を数千点採集した 著書「日本希元素鉱物」        「中津川市鉱物博物館」設立はこの長島コレクションが基となっている
三好 学 東京大学教授 理学博士 (恵那市岩村町)
わが国植物学の基礎を築く 桜と花菖蒲の研究で世界的な第一人者となる
亀井俊介 東京大学教授 岐阜女子大学講師 文学博士 (中津川市中津川)
アメリカ研究の大家 著書「マリリン・モンロー」「ニューヨーク」他
末松安晴 東京工業大学学長 工学博士 文化功労者(中津川市坂下)
光情報通信ネットワーク、電器技術のデジタルアーカイビングの研究
糸魚川淳二 名古屋大学教授 理学博士 (中津川市坂下)
地質学 古生物学 『日本シデコブシを守る会』会長
大野竜三 愛知県がんセンター名誉総長 (中津川市中津川) 白血病の権威
赤井達郎 奈良教育大学学長 歴史学(中津川市中津川                           日本美術史 芸能史 著書「浮世絵と町人」「江戸時代図誌」等
(芸術家)
熊谷守一 東京美術学校卒業 (中津川市付知町)
東洋のピカソ 脱俗の世界に美を追究し特異な境地をひらいた
「熊谷守一美術館」(東京豊島区千早2) 「熊谷守一記念館」(中津川市付知町)
山本芳翠 東京工部美術学校、パリ美術学校で学ぶ (恵那市明智町)
日本近代洋画界の父 明治美術会の創立に参画
前田青邨 東京芸術大学日本画科教授 (中津川市中津川)
高松塚古墳壁画模写総監督 「青邨記念館」(中津川市苗木)
中川とも 岐阜師範学校卒業 文部省図画科検定試験合格(中津川市落合)
芝居絵の創作 画文集「中川ともの芝居絵」等
丹羽海鶴 岐阜師範卒 東京高等師範学校講師 (中津川市田瀬)
日本書道会教師として日本の書道教育に貢献
(作家・漫画家)
大島史洋 早稲田大学卒業 S19生 歌人(中津川市中津川)                     短歌同人誌「未来」所属 歌集「いらかの世界」「時の季」「定型の方法論」等                                荻野 真 名古屋大学中退 S24生 漫画家(中津川市坂本)                   集英社青年漫画大賞 ヤングジャンプ誌「孔雀王」「夜叉烏」「小類人」等                       伊藤潤二 S38生 ホラー漫画家(中津川市) 「富江」シリーズ 「うずまき」他多数
ニュースキャスター草野満代(中津川市田瀬)も、基本的には恵那雑巾
7 まとめ  
1 「恵那雑巾」とは恵那人の気質・生き方・在り方を表す言葉である
2 「恵那雑巾」という言葉は、恵那出身者以外の人によって語られ始めた
3 明治の後期ごろ、岐阜68連隊(通称ロッパチ)の兵士の間で生まれた
4 要領が悪く、愚直で他人を疑うことを知らない恵那人を蔑視する意味で使われ始めたもの
5 いろいろな思いを込めて、良い意味でも悪い意味でも恵那人気質として使うようになった
「見た目を気にしない」「誠実」「忍耐強い」「地道」「まるい」「実直」「正直」「律儀」「自己 犠牲」「木訥」「気骨」「田舎者」「不屈」「辛抱」「がんこ」「不格好」「不器用」「無批判」
6 岐阜師範学校の同窓生や教職員組合で多く語られ、「恵那の教育」とも深い関わりを持つ
7 今、言葉としては恵那地方以外ではほとんど知られることがないが、恵那人への特殊な違和感(差別感)は岐阜や西濃にはある
8 現在50歳くらいまでの恵那人は、積極的かどうかは別として、多くの人は一つの無形の文化遺産として伝承していきたいとの思いをしている
9 恵那雑巾に繋がる恵那のアイデンティティーを胸に命名した地元のアマチュアバンドに 
   「我夢土下座」(Come together)や「土着民」(どちゃくみん)、「だちかんず」等がある。
ちなみに、我夢土下座の「恵那雑巾」という歌の歌詞の抜粋を紹介する。 ・・・みんながいやがるゾーキンがけ 平気でやっとる 恵那雑巾 ・・・アイソもオセジも よう言わん ブキなやつだに 恵那雑巾 ・・・人をだまかす利口には なれへんならへん 恵那雑巾 ・・・粗雑のようで 繊細で 分かってたまるか 恵那雑巾・・・                    (参考2) 中津川と中津(中津川工業高校、中津高校の校名)
中津川は中山道中津川宿(中津川村のち中津川市)の地名で、中津は町村合併後、恵那郡中 津町と称していた頃の地名の名残である。延喜式記載の式内社恵奈郡三座(恵奈・中川・坂 本)はすべて中津川市内にあり、中川神社は本来「中ツ川」神社であり中津川の地名の由来 になっている。(「美濃国郡縣人跡路程図説」文政8年(1825)に中ツ川とある。)                                ところで、「恵那雑巾」の顕彰碑を中津川に建てませんか、スイッチを押すと「我夢土下座」の「恵那雑巾」の曲が流れる、「恵那雑巾」のメッカにしたい。
[PR]
by baba72885 | 2009-06-01 18:51