地名の由来が一目でわかる!


by baba72885
空を見上げて感嘆の声をあげてみよう、あごが上がって苦しいが、誰もが「ア・ウ・オ」の母音が混ざった音声になる。広がる空の色を「アオ」にしようと誰かが言い出して、みんながそれに同意した。「青空」の誕生だ。「オオ」の声からは、大きいという言葉も生まれたに違いない。「大空」の誕生だ。空を見て「アッ」「アツ・暑」とびっくりし、「カッ」と照りつけるお日様の色は「アカ・赤」となった。そうだ、地名も素直な感動の声や伝えたい気持ちから、自然に付いていくのだろう。     青い大空に真っ赤な太陽、漂う白雲と青(大)海原は「湘南海岸」ではなくて、「邪馬台国」への路に栄えていた古代の「マツラ国」「イト国」の故地、佐賀県唐津の「虹の松原」で生まれた言葉かもしれない。                                                   さて、青森の地名由来は、青森市本町5丁目にあった「青森山」という小高い丘から名づけられたという説は正しいと思う。日本人は青も緑も「アオ」というが、「青森山」は「アオい森の山」という意味ではなく、地名の場合はその形を重視し、人の意識は「大盛山」であったと思う。全国の森地名を地図に拾うと、ほとんどが山の名前になっている。「森」はフォレストではなく、マウンティンなのです。「○○森」は平地から見て「こん盛りした山」を表している。「二つ森山」「三森」 等は峰の数であり、「飯盛山」は茶碗に盛ったご飯の姿だ。(注)目からウロコの地名由来 「大室山」の地名由来参照                                明治4(1871)年の廃藩置県では信濃国で「長野vs松本」のように県都をめぐり、死闘を演じたところがあるが、陸奥国においても弘前藩10万石の城下町弘前と盛岡藩8万石の港町青森は江戸時代からライバルだった。はじめはいったん弘前県となったが、すぐに県庁を青森に移し、青森県とした。港町の青森は蝦夷(北海道)経営の前線基地でもあり、大陸にもつながる海の玄関口として県都にふさわしいとされた。しかし私は違った見地から、心から弘前県でなくて良かったと思う. 青森県の地図を見てください。下北や津軽山地には少ないが、全県にわたって「○○森山」を含めて「○○森」の多いこと限りなし。全国を訪ねてもこれだけの密度を誇る都道府県はありません。25万分の1道路地図を見ても、ざっと80以上ある。もっと詳しい地図にはどれほどの「森」が姿を現すであろうか。特に、弘前市のある津軽平野の四方を囲む山々はほとんど「○○森」で、ふるさとの山「岩木山」周辺は驚くべき密集地帯です。弘前は「森」に囲まれ、四面楚歌の状態に陥っている。「陸奥」はまさに「森の国」です、青森は「森の国」にふさわしい県と県庁所在地の名前なのです。                                     泣くな弘前、そこに弘前城があるじゃないか、旧制弘前高校を設置し、国立弘前大学へと学問の都として歴史に息づいている、青森なんぞは何するものぞ。このことは、長野に県都を譲った松本も同じだ、松本城と旧制松本高校、そして国立信州大学に松本市民は、誰にも負けない高いプライドを持っている。                                                                                                                                                                                                                                                                                                 
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# by baba72885 | 2007-08-21 21:04
 ハゲ・ボケは、警戒警報の地名で、最も始原的な日本語だ。                                柳田国男著、初版「地名の研究」(「角川文庫」 S43)によると、昭和10年12月に著した自序の中で、日本の地名を問題にした端緒は、「田代」・「軽井沢」の地名に注目したのに始まるとしている。本文中では、地名の研究について「いろいろの文化現象に興味を持ち、また自然と社会との各方面の知識をも用意しなければならぬ」と、安直な知識で軽々しく扱ってはならぬことを戒めている。また、地名は「われわれの生活上の必要にもとづいてできたものであるからには、必ず一つの意味を持ち、それがまた当該土地の事情・性質を少なくともできた当座はいいあらわしていただろうという推測ができる。・・・普通にはたとえ誰からいいはじめても、他の多数者が同意をしてくれなければ地名にはならない。・・・よほど適切に他と区別しうるだけの特徴がとらえられているはずである。」(p70)とのべている。そして、「地名はどこの国でも、普通はまず地形によってつけるが、それで間に合わなくなると人文・社会的な土地の特徴を地名にしていく」(p73)としている。本文の「地名考説」の各項目において、具体的な地名考証を行い、日本の地名研究のバイブル的な存在となっている。                                  「地名考説」の中で取り上げられた一つの例をあげよう。                       「谷川の両岸の狭まっている所をホキ・ホケ・ハケという。」(p22)という記述からとっさに四国徳島の「大歩危(オオボケ)・小歩危」に思い当たる人は感覚のよい人である。しかし、柳田先生はなぜそういう地形の場所を「ホキ・ホケ・ハケ」というのかということまで言及されていない。    浅学・非才を省みず、例によって音韻から考察してみよう。「キ」・「ケ」はカ行の語句である「崖・切る・殺す・苦しむ・蹴る・暗い」等の「厳しくて険しく過激」な言葉の意味を持つ。そしてハ行の音韻は一見腑抜けのような印象を受けるが、実は中にはカ行と同じ意味を持つ音韻のものがある。たとえば、「ジンギスカンとチンギスハン」の例は「汗」を「KHAN」と発音するが、その発音が「カン」にも「ハン」にもなった。「漢」を中国語とハングルでは「ハン」と発音するが、日本人にはその音が「カン」と聴こえたのだろう。つまり「ホキ・ホケ・ハケ」は険しく、危険な地形の土地を表し、数ある地名の中でも、漢字が伝わる前からの原初的な地名であると考えられる。     全国的に見られる地名では「「ホキ・ホケ・ハケ」から「ボキ・ボケ・ハゲ・ハキ・ワキ」等に変化が見られ、「保木・歩岐・歩危・祝・崩・禿・脇」等の漢字表記が見られる。岐阜県美濃市の長良川左岸には実にご丁寧にも「保木脇・ホキワキ」という念の入った地名がある。よほどの崩壊地かなにか危険度の高い場所だったに違いない。同じく岐阜県加茂郡の坂祝町は難読地名のひとつだが、「サカホギ」 と発音し、いかにも危険な坂道を思わせる地名だ。印象の悪い発音の地名を、そこに暮らす常民が「言祝ぐ・ことほぐ」という縁起の良い音の漢字を借用して「坂祝」と表記した。当地は木曽川の両岸が狭まり、峡谷となっている「日本ライン下り」の景勝地でもある。  蛇足だが、坂祝町には「酒蔵」や「勝山」という地名が隣接してあり、地元では地名伝説の物語ができている。つまりある武将がこの地で戦いに勝利し、酒を飲んで祝し、その山を勝山としたというわけだ。 実は「サカグラ・酒蔵」もまた崩れやすい急坂の意味だ。                                           左《高知県四万十市半家(はげ))      右《大歩危駅》c0134145_17313778.jpgc0134145_1732031.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                       
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# by baba72885 | 2007-08-20 21:38
「ち」という音には畏怖の念が込められている。                                         地名とは土地の名前ということには違いない。地名の由来はなかなか困難なことであるが、その語源までさかのぼって初めて完結といえよう。すなわち、文化果てる地の辺境をなぜ「ヒナ」というかを考察してはじめて、「飛騨」「科野」の由来が意味を持つことになる。「ナ」は土地、とか一定の場所を表す言葉であり、「ヒ」はハ行の「離れる」、とか「端っこ」「他・外・ほかる」「へり」「縁・ふち」というような意味であろうから、「ヒナ」とは都から離れた、他所の土地、化外の地という意味であることとがわかる。                                            「団子坂」の段の意味はこうだ。急な坂道は下るときに「とんとん」と降りていく。「どんどん」降りる人や「だんだん」下に降りる人もいるだろう。下宿のお二階さんは階段を「とんとんとん」と降りてくる。 よって急な坂を「とんとん・だんだん坂」→「段処のある坂」→「団子坂」ということになった。                                                        さて、地名が土地の名前ならば、「とち」とはどういう意味か明らかにしよう。「と」は「外・そと」とか「水戸・みと」、「みなと・港」など、また、「ド」に通じ 飲むところを「飲むど」→「喉・のど」や「井戸・いど」というように比較的狭い場所を示す。「ち」はいろはのいから始まる日本語の音の中で、「み」とともに古代から特1級の扱いを受けてきた畏れ多い音である。「ち」を授けられたありがたい名詞をいくつか列記してみよう。何といっても「いのち 命」の「ち」がすべてに勝る「ち」だ。主食のお米は「うるち」「もち」という。我が家は「うち」(まさか中国語のウオーヂャーからきたわけではあるまい)であり、「土・つち」「道・みち」「町・まち」、そしてすべてのことは「一・いち」から始まる。                                        また、人体関連のものをみるといっそう「ち」が神聖な意味を帯びてくる。食う場所は「食うち・口」、体中を流れるのは「ち・血」、赤ちゃんの飲み物は「ちち・乳」、したがって乳が出るおっぱいも「ちち・乳」という。そして体中で一番神聖視されたところは、「ち」そのものだ。もっとも幼児語では「ち○ち○」とも言うし、その場所を表した「ちこ・ち処」は音便化して「ち○○」という。つまり「とち」とは神聖な場所のことだ。地名の由来を解き明かそうとする作業は、心してかからねばならない。静岡県の大井川沿いの川根本町に「地名」という地名があるが、「地名」を「じな」と呼ぶ。                                               (参考)「み」も[神」「上」のように神霊に通ずる単語で、「安曇 あずみ・温海 あつみ・熱海 あたみ」」「青海 おうみ」などの地名がある。                                                                         
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# by baba72885 | 2007-08-19 22:13
中部山岳地帯に展開する飛騨と信濃の地名の語源は、鄙びた地方という意味です。                                           古代、大和朝廷にまつろはぬ(服従しない)民の蝦夷(ヒナ・エゾ・エヒス)が割拠するこの地域をもまた、宮処(みやこ・都)に対して蝦夷処・鄙処(ひなか)と呼ばれていた。やがて蝦夷の民は東北から北海道に追いやられました。岩手県二戸市の「蝦夷森」という小さな集落は蝦夷の残照であろうか、注目される地名だ。                                   このヒナのナは強く発音するとダに子交(子音の交替)し、ヒダ(飛騨)になった。決してこの地の山並みがヒダ(襞) のように見えたから飛騨とした(俗説)わけではない。ナとダの子交は、境内(けいない→ケイダイ)、内裏(ないり→ダイリ)、男女(なんにょ→だんじょ)等の例がある。   さてヒナのヒはまたシにも子交する。質屋(ひちや→シチヤ)、七(ひち→シチ)がその例で、ヒナはシナ即ち蝦夷は科と表記できる。蝦夷野は科野(信濃)であり、やはり語源はヒナである。  岐阜県と長野県の県境、中央アルプスの南端に日本百名山の一つの恵那山が聳えている。明治26年5月にあのウエストンが登頂して以来、登山家のみならず、一般市民に親しまれている秀峰である。恵那山を挟んで東側が長野県の伊那谷であり、西側は岐阜県の恵那地方である。この両地域もやはりヒナが地名の語源になっている。ヒナのヒは容易にイに子交し、イナとなり伊那と表記した。また、イナのイはエに母交(母音の交替)し、エナとなり恵那と表記した。おそらく往古は伊那も恵那も同じ発音であったと思う。そういえば、名古屋近辺の人は「イイことだなもー」とか「エエことだがねー」とイもエも同じようにつかっている。 あっそうだ、イナを強く発音するとナがダに子交し、イダになり飯田と表記できる。何だ、伊那も飯田も同じ言葉だったのか。同じ伊那谷のライバル都市だが仲良くしよう。                                                                                      まとめ                                                                                                                 中部山岳地帯は蝦夷の住むヒナ(蝦夷・鄙)びた地域であり、鄙処(ひなか→イナカ)であった。その地域を古代律令政府が統治するに当たり、里俗の呼び名を整理し、それぞれ飛騨国、科野国、信濃国伊那郡、美濃国恵那郡として今にその地名を残した。おっとどっこい、伊那谷の昼神温泉には「伊那華(いなか)」というホテルがある。「田舎・いなか」を意識したのではないが。  左《ホテル伊那華》の看板  右《伊那谷の看板》c0134145_206030.jpg                        c0134145_2010304.jpgc0134145_20104852.jpg
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# by baba72885 | 2007-08-16 19:23
c0134145_21402411.jpg 団子・談合はは段処(だんこ)の事ですよ                                                            中央道の談合坂サービスエリア(山梨県上野原市)には「談合坂の団子」屋さんがあります。
「談合坂」のことをその漢字を見るまで「団子坂」と思い込んでいた人は案外多いように思います。しかし、それはある意味で正しい。「だんごうざか」の発音は時に「だんござか」と聞こえる。「だんごうざか」は「だんござか」の発音の異形であり、当世話題の「談合」にちなんだ漢字表記にしたものだ。 
 その「だんござか」の意味は「段処(だんこ)のある坂」という意味である。(注) 「こ」はどこそこ、あそこの「こ」で場所のこと。 例として、宮処(みやこ 都)
そういえば地下鉄「九段下駅」から「江戸城田安門」に上って行く急坂を「九段坂」というが、確かに相当きつい段処のあった坂であることがわかる。静岡県御殿場市中畑の「団合」、山口県山陽小野田市の「談合峠」や新潟・福島県境、越後山地の尾根にある「談合峰」等はいずれも同じ語源である。ただし、新潟県魚沼市の談合山553mは、隣のとがった山を尖山というように見た目で呼んだと思われるので、頂上付近が団子のような形をした丸い山の意味だ。  
 一般に、坂の名前に「団子坂」が多いのは、急な段処のある坂に対して、住民が自然な感情を表した地名である。ただし、「団子」の形を連想して付けられたと思われるものに、「団子森」「団子山」「団子塚」「団子石」等の地名がある。「だんごう」が「だんご」に通じることで談合坂サービスエリアで団子屋さんを始めたその人は、江戸っ子の粋を心得ている人である。それには江戸下町の千駄木にある「団子坂」を語らねばならない。そこに立つ地名由来の説明板には、江戸時代の文書に見える「団子屋」がこの坂にあったから名付けられたとしているが、それは間違いです。談合坂の団子の例がそれを表しているように、団子屋がそこにあったことは信じるとしても、付近の住民が往古より「だんござか」と呼んでいたから、そこに「団子屋」を開業したと考えるのが普通の思考の道筋です。
 自然地名の名前は、日本中津々浦々どこでも、江戸時代よりずっと昔の中世、古代から語りつがれてきています。ましてや、「団子坂」の地名由来を、転ぶと団子のように転がっていく急な坂だから名付けたというのは、子どもに面白話に聞かせる寓話ならそれはそれとしてよい。
 ちなみに赤坂2丁目の「転坂」の名は、歩くと転びそうになる、と正直に坂の有り様を表していて好感が持てる地名だ。 
 都内の「団子坂」は他に、① 新宿区若松町と河田町にまたがる坂(新宿区教育委員会は説明の標柱を立てているが、その説明は「・・この坂はいつも泥んこで、歩くたびにまるで泥団子のようになったという)と記してある。情けない。
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 ② 千代田区昌平坂の別名 ③ 西荻窪の善福寺川に沿う坂などが見られるが、団子屋があったという話は聞かない。
 青森県三戸町の「団子坂」(過疎地の山あい)
 金沢の「団子坂」(戸室山への登山道)
 秩父の「団子坂」(秩父鉄道「お花畑駅」近く) 宵祭りのクライマックスを演出する坂
 仙台の「団子坂」(鷹繋山出崎)
 小樽の「団子坂」(海の見える市街地) これらはいずれも急坂に違いない。

 「談合坂の団子」のまとめ
 1 初めに「だんござか」という里俗(ローカル)地名があった。
 2 「だんご」を「団子」とか「談合」とか表記した。
 3 地名に因んだ遊び心か「団子屋」さんがそこに開業した。                       まさか上野原や山陽小野田が談合のメッカでもあるまい。
東京の谷中銀座商店街への入り口に「夕やけだんだん」という石段があります。坂はやはり段々ですね。 後日、東京文京区教育委員会に説明板の改訂をおねがいしましたところ、早速ご返事をいただきありがとうございました。参考にします、という回答ですが、なかなか書き換えてはもらえないでしょうか。 東京の皆さん、どうご判断されますか。                       熊本県上天草市大矢野町の湯島は、島原湾に浮かぶ小さな島だが、なんとかつては「談合島」と呼んでいた。段段坂の多い島だからだ。           《千駄木団子坂の説明版》         
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# by baba72885 | 2007-08-15 19:33