地名の由来が一目でわかる!


by baba72885
「美女」は濡れ場、「姫」は秘処だが、「乙女」は音消しではない                                          「美女」地名は「ビショビショ」が語源で、じめついた湿地帯のこと。「立山黒部アルペンルート」富山県側の立山ケーブルの終点に「美女平」が広がる。「弥陀ヶ原」からつづく高原状の広い緩斜面は、じめついた湿地である。岐阜県高山市の「美女峠」は、山本茂美著の「ああ野麦峠」で有名になった「野麦街道」にある峠だ。高山から峠を越して下るとすぐ「美女ヶ池」があり、周辺には水芭蕉の群生地もある。近年はこの一帯を「美女高原」と称して、観光客の旅のロマンをかき立てている。福島県大沼郡昭和村野尻から三島町間方に抜ける「美女峠」は、「俎倉山1056m」の西の尾根から等高線に沿って山頂を巻いていく峠であり、峠につきもののへこんだ「鞍部」がなく、尾根の平坦部につけられた地名だ。島根県奥出雲町「美女原」は、大馬木川と雨川の間にある平坦地の地名だ。その場所は雨川の旧河道にあたり、低湿地になっていたと思われる。鳥取県江府町「美女石」は、日野川左岸の河岸段丘面にあり、背後の山地からのしみ出し水が豊富なところだろう。埼玉県戸田市「美女木(びじょぎ)」は、平野の低湿地帯にある「美女」地名である。「ぎ」は「場所・瀬戸際・限り」等の意味だろう。荒川を挟んで、対岸の埼玉県朝霞市田島の美女地区には小さな祠の「美女神社」がある。土地の人はその由来をはかりかねているが、ここは三方を黒目川と新河岸川に挟まれた湿地帯であり、水害に悩まされたところだ。なお、朝霞市田島の荒川対岸には、さいたま市の田島がある。                           新潟県十日町市美女木は、山腹にあるわずかな平地で、かつてはその湧き水を利用して水田も少し営んでいたが、現在は廃村になっている。他に、小さな川沿いの集落の福島県二本松市美女木がある。                             「乙女(おとめ)」の由来は、一般的には「劣る・小さい・淀む」という意味だが、人体の陰部の「ホド・ホト」に由来するU字のへこんだ場所の意味もある。山梨市の「乙女高原」、長野県小谷村から新潟県上越市に越える「乙見山(おとみやま)峠」や静岡県御殿場市から箱根の仙石原への「乙女峠」はそんな地形名であろう。仙石原には父親孝行の娘が住み、その不憫な死の霊を哀れんで「乙女峠」と命名されたという地名伝説が残っている。長崎県佐世保市宇久島には「「乙女か鼻」があり、海に突き出たこの岬は波の「音」からきた地名かもしれない。しかし、南極の昭和基地近くの「乙女の鼻」は、その岬の醸し出す雰囲気から命名されたのだろう。南極にはこんな癒しも必要だ。東京新宿区の「おとめ山公園」は、幕府の定めた禁猟区である「御留め山」であり、岐阜県中津川市加子母の「乙女渓谷」はこの渓谷一帯が木曽ヒノキの美林であり、それを守るために尾張藩が定めた伐採禁止の「御留山」に由来するものだ。島根県津和野町には「乙女峠聖マリア聖堂」がある。この聖堂は津和野駅から西へ谷を少し入ったところにあるが、峠らしきものは無い。早速、町の観光課に問い合わせたところ、次のようなお話であった。「『長崎の鐘』で有名な故永井隆博士が、この地で殉教したキリシタンの本を著されたが、その書名が『乙女峠』であったことにちなんでいる」ということで、地形の峠とは関係ないことが分かった。                               「姫」地名の由来は大きく二つに分けられる。「姫椿」「姫鯛」のように「小さい・かわいい」という意味と、その発音から「秘められた・湿った」という意味がある。後者は「美女」地名にもつながる。.新潟県の「姫川」は秘境の意味だろうし、岐阜県多治見市「姫」は「姫川」沿いの小さな低地の集落であり、湿った場所の意味も考えられる場所だ。和歌山県串本町「姫」、石川県能登町の「姫」は小さな浜辺にひっそりたたずむ集落だ。小さいという意味では千葉県東金市姫島、佐渡の「姫津」、「姫崎」もそうだ。また、海上に浮かぶ「姫島」が各地にある。大分県国東郡の「姫島」には「比売語曽(ひめごそ)社」という神社があり、「ひめ」の由来をうかがわせる。他に、福岡県志摩町の「姫島」、能登半島突端の沖にある珠洲市の「姫島」、五島列島福江島柏崎沖の「姫島」等がある。大阪市西淀川区の「姫島」は神崎川・淀川河口の三角州上にある湿地関係の地名だ。昔は、島のように浮いていた三角州で、小さいという意味あいもあったに違いない。そこに「姫島神社」があり、隣には「姫里」という地名がある。「姫」は山の名にもある。長野県の「黒姫山2053m」はもとは「姫嶽山」といい、戦国時代の「黒姫伝説」によってその名となったとされているが・・・。山の大きさや形からして「ひめ」にふさわしくない不思議な名前である。山の東麓斜面の信濃町には「黒姫」という小集落があるが、この山の名前からつけられたと思われる。他に大分・宮崎県境に「姫岳620m」、福岡・熊本県境に「姫御前岳620m」、岩手県軽米町の「姫ヶ森489m」、岩手県盛岡市玉山の「姫神山1124m」等がある。徳島県鳴門市大麻町「姫田」は崖下の平地、香川県観音寺市大野原町「中姫」は水田地帯、富山県立山町の「七姫平」は、常願寺川最上流部の支流称名川の秘境にあるがれきの緩傾斜地である。愛媛県久万高原町の「姫鶴平」は高知県境の緩い斜面にある。それぞれ湿地や秘められた場所を示唆している。愛媛県、兵庫県姫路市、滋賀県虎姫町等の地名由来はそれぞれ伝説めいたものがある。                                                                                          左《福島県塙町の温泉》                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   c0134145_10281925.jpgc0134145_10311172.jpg
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# by baba72885 | 2007-11-22 19:50

沖縄「伊江島」の地名

沖縄本部半島の沖合いに浮かぶ「伊江(いえ)島」に行ってきた。この島は、東西約8km、南北3kmの小さな島で、「伊江村」一村の島である。島東部に「タッチュー」と呼ばれる「城(グスク)山172m」が聳え立つ特徴のある島だ。国土地理院の2万5千分の1地形図には、数多くのカタカナ地名といくつかの漢字地名が記載されている。現地の人に尋ねると、カタカナ地名はほとんど個人の屋号か単なる耕作地の通称であることが分かった。島の面積にしてはかなりの密度で、こんなローカルで微細な地名が記載されているのには何か特別な理由があるだろうかと疑問に思い、筑波にある国土地理院に電話で問いあわせた。質問① 地形図に記載する地名には何か基準があるのか 質問② なぜ「伊江島」だけにあまりにもローカルな地名が記載されているか、の2点である。 国土地理院では電話を3箇所も回わされた揚げ句、担当の者がいないので追って電話で回答するとのことであったが、10日たっても音沙汰が無いということで業を煮やし今日、国土地理院沖縄支所に電話とFAXで問い合わせたところ、まもなく「下地さん」から電話で丁寧なお答えを頂き、地形図に取り上げて記載する地名についての決まりのようなものをFAXしていただき感謝感謝します。それにしても筑波の国土地理院本院は、この程度の質問に回答が出来ないとは、いったいどうなっているのだろうか、職務怠慢だ。             さて「伊江島」の地名由来だが、「伊江村史(上巻)」には、古くは「泳島」と表記され、「イイシマ」「イーシマ」といっていた、とある。またその地名由来として、この島の形が良く、農作物の実りも良いので「良い島(イイシマ)」といった、とか、大和に近いので「上(ウエ)島」が訛って「イエシマ」になったとかいくつかの説をのせているが、いずれも長短がある。日本古語の「い」は高いところ、聳えるところを意味している。「タッチュー」が海から突き出たように聳えているので、「イーシマ」と詠んだかもしれない。兵庫県の播磨灘に浮かぶ」「家島」、徳島県阿南市の「伊島」も同じ語源と考えられる。ところで、沖縄では島のことを単に「間」ともいう。「慶良間・多良間・波照間・来間」等があるが、もし「伊江島」が「イージ間」とするとまた違った解釈となる。    (カタカナ地名) 「アシヤギ原」が「アシャギ」という神の名であるということ以外、次の地名の由来がよくわからない。(ツラシ原・ナガラ原・マヘクボ原・アタイ原・ウフゲ・トニヤ原・カネクラ・キネナ・ハンタ原・ハシラ・スサカ・アキナ原・フナズ原・ブリシ原・マミカ・イシハラ・ウミカ原・ガデナ原・ギチル原・マタ原・サチヤマ原) そのほとんどが「原」地名だが、この「原」は単に場所を意味する程度と考えてよい。琉球大学地理学教室が中心となって調査・編集した「南島の地名第5集 1998年」では、大宜味村の字名を扱っているが、沖縄方言のカタカナ地名をほとんど漢字に当ててその由来を考察している。日本本土の地名と同様、その由来の解釈には大変な困難を極めているが、記載されたすべての地名についてフリーハンドの現地地図が施されており、分かりやすく親しみが持てる。                        (漢字地名)役場等で訊きました。   川平:島音では「ハンジャ」ハンは井戸、ジャは坂                               赤嶺:赤土のある場所                                             西崎:西にある岬                                                真謝(マジャ):語源は「真地(マージ)」 黒土の肥えた土地                      砂堂:砂が大量に出た場所  「ドー」は平地                               具志:大きな牛(グシ)のいるところ                                     並里・阿良・具志堅は不明                                                                  伊江島役場の長嶺さんをはじめ、西公民館の皆さん、農作業中の皆さんにいろいろお世話になりました、本当にありがとうございました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           
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# by baba72885 | 2007-11-03 20:03

「峠」の地名

「とうげ」の語源は、尾根の鞍部になっている「たわ(撓)んだところ」を越えていく場所だから、「たわごえ」となり、「とうごえ」、そして「とうげ」となった。「峠」は日本人が創作した国字であり、「たわごえ」のあり様を漢字にしたものだ。「たわ」「とう」のそのものを峠の名前にしたところがある。飛騨市から富山県の「有峰湖」に抜ける「大多和峠」、愛知県東栄町の「太和金峠」、岐阜県東白川村の「大多尾峠」、中津川市蛭川の「遠ヶ根峠」、山口県下関市の「梅ヶ峠(うめがとう)」等がある。香川県さぬき市の旧長尾町「大多和」も、「四国のみち」の峠に関わる地名と思われる。新潟県小千谷市の「道見(どうけん)峠」は、元来「とうみ」ではないだろうか。一方、西日本を中心に「越」という峠の名が多いが、なぜか関東、東北にあまり見られない。長野、静岡県境にある「ヒョー越」の「ヒョー」とは境界の「標識」の意味か、「ひよる」からきており、「曲がる」「撓む」という意味だ。熊本県菊池市と大分県上津江村の間の「兵戸(ひょうど)峠」や神戸の「鵯(ひよどり)越」も同類だろう。三重県熊野市の「評議峠」は間違いなく「標木峠」の意味だろう。「六甲越」(神戸市)、「床山越」(隠岐の島町」、「牧谷越」(越前市)、「大原越」(大分県佐伯市)、「三頭越」(香川県まんのう町)等がある。ところで、「とうげ」は古くは奈良時代までは使われておらず、もっぱら「さか(坂)」が使われていた。「さか」の語源は「さ」が滑りやすい、「か」は場所を示す。「記紀」に見える「科野坂・信濃坂(しなのさか)」は、濃信国境の中央アルプスを越える古代東山道の「神坂(みさか)峠」のことだ。この荒ぶる神の支配する難所の峠を「神の御坂(みさか)」といい、「神坂(みさか)峠」と書くようになった。現在の峠道は自動車道路が整備されたが、かつては東山道屈指の難所であり、旅人は遭難覚悟の峠越えであったことが「三代実録」等の古記録に見える。山梨県の「国中」から「郡内」に入る「御坂峠」も同じく、古い官道の畏敬の念に満ちた「おんさか(御坂)」であったであろう。愛媛県松山市と久万高原町の境にある「三坂峠」、新潟・長野県境の「深坂(みさか)峠」、長野県小谷村の「大(三坂)峠」、島根県邑南町と広島県北広島町を結ぶ「三坂峠」、福井県若狭町と滋賀県今津町の境界にある「水坂(みさか)」峠等も古代から重要な峠道であったに違いない。「坂」に「峠」がつくと、屋上屋を架すようであるが、各地にはそのような峠が多い。坂梨峠(青森・秋田県境) 大沢坂峠(岩手県滝沢町) 庭坂峠(福島県川俣町) 妻坂峠(埼玉県横瀬町) 大阪峠(兵庫県三田市) 等      ちなみに、長崎県対馬ではほとんどの峠を「坂」と称しているが、古代の名残をよく残しているといえる。(双六坂・琵琶坂・弓坂・堂本坂・左須坂)等                                                    峠名の分類                                                   ① 単に「坂」                                                  ② 「たわ」「とう」                                                ③ 民間信仰・習俗 (地蔵峠・賽の神峠・卒塔婆峠・祠峠・念仏峠・不動峠・極楽峠)等                            ④ 地形名                                                      ・崩れやすい崖(~かけ・がけ)を通過する峠 網掛峠(長野県阿智村) 鞍掛峠(新潟県魚沼市 他多数)・瓦礫がゴロゴロしている峠  ガラメキ峠(大分県中津市) ・うつろな雰囲気の坂道(窪地や凹んだところ)  内津(うつつ)峠(愛知県春日井市) 宇津ノ谷峠(静岡県焼津市) 宇峠(岐阜県中津川市) 善知鳥(うとう)峠(長野県塩尻市) 謡(うたい)坂(東京目黒区上目黒・五本木) ・その他 四十四曲峠(岡山県新庄市) 九十九曲峠(愛媛・高知県境) 七曲峠(宮崎県日向市)                        ⑤ 植生 (白樺峠・楢峠・笹峠・榎木峠・桧峠)等                            ⑥ 峠を挟む麓の」集落名                                            これから越えていく峠の向こう側の集落名をつけるのが自然だが、峠を挟んだ二つの集落 の力関係がうかがえて面白い。岩手県花巻市の「有宇内(ありうない)峠」は、きっとアイヌ語起源に違いないが、果たしてどういう意味なのだろうか。                                                   左《雪の網掛峠》          右《邑南町三坂峠の麓のバス停》       c0134145_21522218.jpg c0134145_235556.jpg
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# by baba72885 | 2007-10-22 20:29
「なか」は仲良しに通ずる地名                                                 「せなか」は体の背(せ)の真ん中だから「背中」と書く、ならば「おなか」は表(お)の真ん中にあるから「表中」と書くべきなのに、なぜか「お腹」と書く。中国語の「腹」の字を使っているが、和語の「おなか」を大切にしたい。海外の言語で、まさか腹の名に「センター」の意味をもつものがあるとは思えない。日本人は地名のみならず、体の名称においても「真ん中」という概念に対する畏敬の念が感じられる。「なか」の「な」は「ならす・なめらか・なだらか・なおる」等の言葉から、おおよその意味が浮かんでくる。もしくは、「な」そのものがすでに「真ん中」の意味を含んでいるとも考えられる。「か」は「処(こ・か)」であり、場所のことだ。したがって、「なか」は周辺地域の中で一番暮らしやすく、大切にされた良い集落(ムレ・ムラ)につけられた地名である。
  福岡県の博多は昔「那(な)国」とか「那ノ津」と呼ばれていた。現在も「那ノ津大橋」や「那の津通」等にその名残が見える。また、博多区には「那珂(なか)」という地名もあり、その名をとって福岡市の都心を貫き、博多湾にそそぐ川の名を「那珂川」という。「那国」は、後漢の光武帝から授かった例の金印に書かれた「漢委奴国王」に見える「奴(な)国」のことである。ここ博多付近は、生活の場として最高に恵まれた条件の場所であることを示し、考古学的には付近の「板付遺跡」の発掘成果が、その文化程度の高さを証明している。徳島県の「那賀川」や茨城県で太平洋にそそぐ「那珂川」も、「なか」にふさわしい豊かな大地を流れている。この「那珂川」下流では、合併により「ひたちなか市」と「那珂市」という新市が隣り合わせで誕生して紛らわしいが、それだけ「なか」へのこだわりが強いということだ。札幌を除く都府県庁を中心に、ざっと「なか」地名を拾うと、漢字としてはほとんど「中」が使われている。さらに地名に注目すると「中村・中里・中島・中野・中田」が多く、住みやすいムラを思わせる。                       長島温泉で有名な三重県桑名市長島(ながしま)町は、町全体が木曽三川(木曽・長良・揖斐)の形成した三角州にあり、周囲をぐるりと堤防に囲まれた完全な「輪中集落」である「川中島」の呈をなしている。本来なら「中島(なかしま)」となるべき地形名であるが、この輪中は南北に細長いので「長島」と濁音になってしまった。「中」が「長」や「永」に変わってしまった地名も各地に多く見られるので、注意を要する。長野市「長野」は善光寺のある場所の地名だ。背後に丘陵地を控え、南向きで日当たりもよく、このあたりでは一番良い場所に寺を建立したと思われるので、やはり地名の由来は「中野」ではないかと思う。長野市の北方、北信の中心地には正真正銘の「中野市」があるが、長野市と発音が似ており、よく間違えられて困る、と中野市民はなんとなく憂鬱を抱えている。石川県金沢市の都心部には「中橋」「中村」「長田」があるが、この「長田」も「中田」であろう。岐阜県恵那市の中心部には「永田」「長島」「中野」という地名が一箇所にかたまっている。いつのころからか「中田(なかた)」が「永田(ながた)」になり、「中島」が「長島(ながしま)」になり、さらに「長島」を「おさしま」と呼ぶようになった。日本の常民の発音の妙と情念の豊かさを感じる。   《奈良県天理市中町》                                                                                                                                                                                                                                                                                                c0134145_10343841.jpg
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# by baba72885 | 2007-10-12 22:29
「馬場(ババ)」といえば、東京では「高田馬場」のことだ。「高田」は高田何某という人名に由来するという説は間違いで、高い場所(台地)の意味の「たかと(高処)」から来ている。                                      「馬場」は江戸時代に馬の調練場があった場所で西早稲田に案内板がある。「高田馬場」の地名由来は、高台にある馬場のことだ。                                     しかし、全国にある多くの「馬場」地名は馬と関係が無いものが多い。私の住処も「馬場」と書き、「ババ」ではなくて「マバ」とか音便化して「マンバ」というが、馬とは何の関係も無い地名だ。各地にある「馬場」「万場」が、動物の馬と関係があるかどうかは、現地の歴史をひもとかないとわからないが、城下町に見られる「馬場町」は確かに馬としても、その他はおおむねその地形から来ている。すなわち、「ババ・マバ・ママ・ハバ」等は崖地や傾斜地を表し、河岸段丘や台地の縁の斜面に名づけられていることが多い。神奈川県大井町馬場は「ばっば」と発音し、酒匂川へ落ちるの崖に付けられた地名だ。                         万葉集、高橋の虫麻呂の歌について、「勝鹿(葛飾)の真間(ママ)の娘子を詠める歌」とある。ここに見えるママも崖地のことで、千葉県市川市真間がその故地だ。                               「駒場」については、古代律令時代の官道に設けられた駅家(うまや)の推定地には、「駒場」の名が見え、伝馬の名残の地名といえよう。東山道で見ると美濃国坂本駅(中津川市駒場)、信濃国阿智駅(阿智村駒場)、下野国三鴨駅(岩船町駒場)等がある。栃木県足利市「駒場町」は東山道足利駅と三鴨駅の中間にあるが、官道沿いであることから馬に関係する地名と思われる。また、北海道の函館市「駒場町」は競馬場の場所そのものの地名であり、音更町「駒場」は帯広市の郊外にあって、道産子にちなんだ地名だろう。しかし、地名における「駒」は川が曲流している場所や「隈(くま)」「河間(かま)」に通じ、狭い谷の地形を表している。埼玉県北川辺町「駒場」は、渡良瀬川と利根川の落ち合う湿地帯にあり、渡良瀬川が曲流した跡に残った三日月湖に接している集落だ。愛知県豊田市「駒場町」も男川と逢妻女川が合流する三角地帯にある。うって変わり、山梨県南アルプス市「駒場」は御勅使川の奥深い谷間にある集落だ。                                         東京目黒区「駒場」は、かつて馬の放牧場があったとか、将軍家の鷹狩りの際の馬留めがあったとかいう説があるが、古くからの放牧場にはほとんど「~牧」という地名がつく事からすると、放牧場とは思えないし、馬留め説も「駒」の字に惑わされている気がする。                                         目黒区「駒場」は馬には関係なく、「駒込」にも通じる意味で、「こまごま」と入り込んだ狭い場所につけられた地名だと思う。                                    大田区「馬込(まごめ)」の「ま」は単に接頭語であり、豊島区「駒込」や岩手県北上市東和町の「駒籠」もともに、狭い窮屈な場所の意味である。中山道木曽路の馬籠峠を挟んで、「馬籠」と「妻籠(つまご)」が対峙しているが、いずれも奥の詰ったような狭い土地にある宿場町だ。新宿の「牛込(うしごめ)」は内込(うちごめ)が訛ったもので、何かの内側に入り込んだ所、という説に従っておこう。                                  現代人は、馬といえば競馬や馬刺しくらいしか思い浮かばないが、馬は大陸から渡来して以来、人間以上に大切にされてきた歴史があり、「ま」「ば」「こま」等の地名に「馬」や「駒」
の地名として人々が残したい気持ちが良くわかる。戦乱時には軍馬として勇敢に戦い、平時は荷役や農耕作業に懸命に耐え、交通手段としてもよく働いた。飢饉の時には、食料源にもなったことだろう。東北の「曲屋」を待つまでもなく、ついこの間まで、玄関のすぐ右手に厩(うまや)があり、人馬が一体となって生活していた農家を忘れられない。                                                                    左《阿智村駒場》》            右《高田馬場跡の説明板c0134145_21152214.jpg》                                                                                                                                                                                                                                                                                                                   c0134145_2023717.jpg
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# by baba72885 | 2007-10-10 18:38