地名の由来が一目でわかる!


by baba72885
〈かすが) 「かすが」は水の乏しい場所や傾斜地を意味する自然地名だが、東京のそれは趣が違う。練馬区春日町は豊島園の北にある「春日神社」からその地名とし、文京区春日はあの「春日局」の領地に由来するという。ところで、奈良の春日大社の名は、自然地名の奈良市春日野町の「かすが」からとったと思われる。                        〈やまと〉 日本のかつての国号「大和」は、その威厳のある高名さと、「和」の意味合いに惹かれるものがあり、全国的に合併時の新町村名に採用されることが多い。中野区大和町は昭和9年に、板橋区大和町は昭和45年にそれぞれ各地区の合併により誕生した。                 〈さるがく〉 「さる」は滑りやすく、「がく」は崖などと無理にこじつける必要はない。素直に能や狂言の源流になった「猿楽」に因む地名としたい。千代田区猿楽町は、猿楽師「観世太夫」の屋敷跡があったことから地名としたといわれている。渋谷区猿楽町には「猿楽塚」や「古代住居跡」などが残り、早くから開けた地域と思われるが、おそらく猿楽師が住んでいたか、演じられた場所に因んだ地名だろう。源頼朝がここで猿楽を楽しんだというのは、単なる伝説に過ぎない。                   〈せんごく〉 文京区千石は名藩主の由緒ある六義園や小石川植物園も近く、周辺の白山、大塚界隈とともにしゃれた住宅街だ。千石は縁起のいい瑞祥地名の一つだが、ここはかつて付近を流れた千川と小石川の合成地名である。由緒ある都心の閑静な地域に安易な合成地名とは、いかにも江戸情緒に欠けるものだ。残念。江東区千石は木場公園の東、仙台堀川の北岸にある。碁盤目状に張りめぐらされた堀川に囲まれた地域で、北隣の千田地区とともに低湿地の新田を開いた際に、豊作を祈ってつけられた地名だ。                         〈やよい〉 板橋区弥生町は昭和7年に板橋町や大谷口町、上板橋のそれぞれ一部などが合併した際に縁起の良い弥生町とした。弥生時代にその名を残した文京区弥生は、明治5年に向丘弥生町として誕生した。そのきっかけは、今東京大学にある徳川斉昭の歌碑に「やよい」がうたわれていることらしい。中野区弥生は昭和42年に、やはり合併による新町名で、付近に弥生遺跡が多くあることから採用された。                        〈ひがしやま〉 東山といえば、京都の東山、名古屋の東山動物園、会津の東山温泉を思い出すが、これらは町の中心から見て東方の山であり、見た目そのままの地名である。板橋区東山は、南に連なる小茂根(こもね)の名前からすると高所を意味するので、やはり東方の高台がその由来だろう。目黒区東山は目黒川を挟んで青葉台と対峙する台地にある。池尻や三宿、太子堂方面から見て東山と名づけたのだろう。                          〈さかえ〉 長野県栄(さかえ)村は信越国境に位置し、境の村を好字にしたものだが、各地の栄地名は多くはその地域が未来永劫にわたって栄えあるように願ってつけられた地名だ。鉄道の駅前に栄町が多いのは、開通当時の住民が鉄道を忌避し、町外れの片田舎に駅を建設したことによる。現在は、その駅の恩恵を受け、町の中心的商店街を形成し名実共に栄町になっている。練馬区栄町、板橋区栄町、北区栄町もそれぞれ住民の願いどおりの町に成長している。                            〈にしき〉 練馬区錦、千代田区錦ともにきらびやかな印象の町だが、いづれも将軍家か高級武家の御屋敷関係ではないかといわれている。                              〈すみよし〉 江東区住吉、新宿区住吉はともに大阪の住吉大社を意識してつけた縁起のいい地名として命名した。
                                                                                                                                                                                                                                                                  
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# by baba72885 | 2008-01-24 19:57
〈ひらかわ〉 千代田区には平河町が二つある。JR秋葉原駅東の神田川北岸に、神田平河町があり、その由来は神田川の古名である「平川」である。一方、最高裁判所の裏手にある平河町には真ん中に「平河天満宮」があり、早くから開かれた土地を思わせる。また、天満宮の北には東西に「平一中央通り」があり、ひらかわは地形的に「平らな側」を意味するように思える。また、南の永田町の水田地帯に遅れて開墾された場所を意味する「新開地」とも考えられる。                           〈たかだ) 中野区上高田は北に松が丘へと続き、妙正寺川沿いの低地である中井、新井、江古田、沼袋とは対照的な地形だ。また、豊島区高田は北に雑司が谷を控え、目白台から続く台地状の地域だ。いずれも高燥地であり、水田には適さない場所と考えると、単に高所(たかと)や高畑(たかはた)が訛ってたかだになったと考えたい。                  〈たかまつ〉 豊島区高松、練馬区高松ともに周辺地域より高くなっている地域だ。練馬区立高松小学校の校歌には「松ノ木」や「ときわの松」が唄われており、両方とも植物の「松」に由来すると考える。         〈ふじみ〉 高松小学校の校歌には両方とも「富士山」が登場する。かつてビルの建つ前の東京では、ちょっとした高台や坂上から富士山が望めたことで、「富士見坂」の地名は十指に余る。練馬区富士見台は隣接する高野台と同じく住宅街となっており、昭和39年に谷原地区を割いて誕生した。もともと南の中野区鷺宮にかけて「富士見」と言われていたという。千代田区富士見は飯田橋の南の都心にあり、城下町として発展してきた町だ。板橋区富士見町は常盤台に続く住宅地で、隣の前野町には富士見台小学校がある。全国の「富士見」地名の中には富士山とは関係なく、単なる瑞祥地名の場合があることに注意が必要だ。                                           〈おおやま〉 漢字のイメージは違うが、その発音から小山(おやま)が威勢よく大山になることが多い。渋谷区大山は西原、上原と隣接しており、潅木林の中でこんもりした高まりのあるところを「お山」といっていたかもしれない。板橋区大山町もやはり東武東上線沿いに何がしかの小高い丘があり、そこから地名が生まれたと思いきや、ここに大山参り(神奈川県丹沢の大山信仰)の講連中が集っていたということで、大山地区が生まれたというが・・・・。                              〈ほりのうち〉 堀内は確かに中世の豪族屋敷関係の地名ではあるが、荒川北岸の足立区堀之内は、北区堀船や葛飾区堀切と同じく、荒川と隅田川のつくる水郷地帯に発達したクリーク堀のことだろう。ものの本には地方豪族の宮城四郎兵衛何某の館に因んだ地名だとあるが、堀内のすべてが豪族屋敷村とは限らない。杉並区堀ノ内は善福寺川をまたいで南北に長い町だ。東隣の和田とあわせて和田堀村と称した時もあり、近くには和田堀公園や和田堀橋の名が残っている。ここも豪族屋敷村とするには歴史的な痕跡が無く、善福寺川とつながる堀関係の地名だろう。                 〈かが〉 かがの語源は芝原や荒地の草地をあらわす。全国にあるかが地名はほとんどがこの自然地名である。(岐阜県各務ヶ原市各務、羽島市加賀野井等) 足立区加賀は埼玉県川口市との境界にあり、葦の生い茂った荒地であったろう。付近を流れる新芝川は下流で芝川と合流し、荒川に合流する。板橋区加賀と新宿区市谷加賀は、いずれも加賀藩の屋敷跡に因む地名で、江戸東京ならではのかが地名だ。                                        
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# by baba72885 | 2008-01-22 19:50
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〈いりや〉 足立区入谷と入谷町は元来同じ地区名であり、隣接して古千谷(こじや)がある。「恐れ入谷の鬼子母神」(現在は下谷地区になっている)の台東区入谷は「朝顔市」の町だ。いずれの入谷も読んで字のごとくの地形名だ。                                  〈かまた) 世田谷区鎌田は仙川、野川、多摩川の出合う細長い低湿地帯であり、早くから開かれた水田にちなんだ地名だ。江戸川区下鎌田は旧下鎌田村の名残であり、その多くの地域が瑞江地区になっている。瑞江の地名と共にやはり低湿地の田を思わせる。なお、上鎌田はバス停のみがその名を残している。大田区蒲田はかつて鎌田と表記していた。今は蒲田本町、西蒲田などいくつかの地区に分かれている。付近はかつて沼地のような湿田であったという。                                〈せんぞく) 足立区入谷には戦国時代まで「千束池」があったという。目黒区洗足は、すぐ南となりの大田区千束と同じ旧荏原郡千束郷であった。「洗足池」は大田区南千束にあるが、その字面から案の定、日蓮上人が足を洗った池という地名伝説がある。南千束の地域にはかつて、池上千足町があり、3つの表記の見られる面白い地名だ。台東区千束はいわゆる江戸吉原遊郭を含む地域だ。千束の由来は、稲千束を意味するのか、千僧供養に関する料田から来た地名なのかよく分からない。                〈やなか〉 立派な野球場を備えた「谷中公園」は足立区谷中にある。また、いわゆる「谷根千 やねせん」の一角を占めるのが、台東区谷中だ。上野台地の東には、入谷、下谷、松が谷と連なり、谷中と同じくみな地形そのものの地名だ。杉並区堀ノ内の住宅街にある「谷中公園」の名は、すぐ南を流れる善福寺川の谷を意識したものだろう。                       〈たまち) JR田町駅は現在芝5丁目にあるが、かつてここは田町あるいは芝田町といわれていたことからつけられた駅名だ。西の三田から続く水田地帯を示している。新宿区市谷田町も、外堀沿いの低地である。江戸初期まで田町といわれていた千代田区神田多町(たちょう)は埋田町が起源という。やがて城下町として都市化し、賑わってきたので「田」を「多」に改め、呼び方も「たちょう」としたのは江戸っ子の粋な技に違いない。                         〈つきじ〉 中央区築地の「つき」は、東京湾に浮かぶ月島(つきしま)、佃島(つくだじま)と同じ語源で、海を埋め立てて築(つ)いた土地を意味する。月島ははじめ築嶋だったが、よりロマンチックな表記にしたのだろう。神戸市築地町も埋立地だ。新宿区築地町は神楽坂を登ったところにある。古い池を埋めた土地という説もあるが、ここは周囲より高くなっているので、突き上げるような高所や台地を意味する「つく(衝)」だろうか。しかし、神楽坂の北側には築地と同類地名の津久戸(つくど)町や筑土(つくど)八幡町があり、さらに白銀町(別項参照)もあることから、かつてこのあたりで大掛かりな土木工事(砦、館等)があった事を思わせる。                                                                                                                                                                            
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# by baba72885 | 2008-01-18 18:33
地名が先か人名が先かといえば、そもそも名字はその拠るところの地名をつけるのが基本です。中世から戦国の世に割拠した武将を中部地方に見ると、松平氏(愛知県豊田市松平)、吉良氏(愛知県吉良町)、土岐氏(岐阜県瑞浪市土岐町)、明智氏(岐阜県可児市明智)、木曽氏(長野県木曽郡)、高遠氏(長野県伊那市高遠)、真田氏(長野県上田市真田)、諏訪氏(長野県諏訪市)等がある。一方、名前を地名から取るのは歴史的には限られた人達だけだった。たとえば、江戸吉原の位の高い遊女、宮中の最下級の女官、比叡山の悪僧(武蔵坊・土佐坊等)などがある。むしろ現代は普通に地名から取ることが多くなり、女子の名前では「梓」「伊予」「明日香」等、男子では「穂高」「大和」「甲斐」等を目にするようになった。ここでは、逆に人の名前が地名になった例を見よう。平安時代末期になると公地公民制が崩れ、有力な社寺や地方豪族、低い身分の武士達が強引に公地を囲って私有地にしたり、新たに土地を開墾したりして荘園にした。そこには新しい地名が必要になり「本荘・領家・地頭・京田」等の他に、「○○荘」という地名をつけた。さらに新たな荘園を拡大すると、そこに「加納・別所・別府・一色」等の納税関係の地名が全国に広がった。そんな荘園の中で、名主や土豪の名前が地名となっている集落を「名田百姓村」という。地名としては「○○丸」(高知県香美市太郎丸、愛知県稲沢市治郎丸、北九州市小倉北区三郎丸、仙台市四郎丸、富山県砺波市五郎丸、大分県宇佐市六郎丸、福岡県久留米市十郎丸・田主丸・仁王丸・宮崎県国富町宮玉丸)や「○○名」(香川県高松市地頭名)等がかなり残っているが、「丸」は尊い人の「麿(まろ)」からきており、いささか遠慮をして「丸」としたものだ。もっとも、麿の由来はマラ(男根)からきていることをご存知だろうか。全国各地にある「徳丸・大丸・金丸・米丸・福丸・烏丸・秋丸・王丸・松丸・歌丸」等も名主の名前に因んでいると思われる。柳田国男は当時名主の名前に人気のあった文字(久・延・貞・利・元・友・光・宗・充・福・徳・富・重等)をあげ、名田百姓村の地を知ることができるとしている。ちなみに広島県世羅町には「京丸・三郎丸・金剛丸・行貞・国久・重永」があり、隣の尾道市には「清宗・家貞・有光・安延・元広・金光・重広・別所・公文・九門田」等がみえ、名主の開墾荘園の宝庫である。次に、江戸時代に新田を開発した人物名が地名になっている例を見よう。乏水地の台地を開墾した岐阜県各務原市吉兵衛新田(今は吉新町)、埼玉県所沢市安松新田等がある。沖積平野の低湿地帯として、新潟県鳥屋野潟のほとりにある新潟市清五郎、同市西川町兵右衛門、木曽三川の輪中にある岐阜県海津市七右衛門新田、利根川沿いの茨城県河内町平三郎、茨城県古河市三和町長左衛門新田、同県坂東市勘助新田、静岡県藤枝市善左衛門、同県静岡市与左衛門新田、愛媛県西条市新兵衛等がある。山間地の斜面に薙畑(焼畑)を切り開いた人物名に、岐阜県中津川市権四郎薙(通称ごんしなぎ)がある。その他歴史的に何らかの由緒がある人名の地名がある。長野県の伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛峠の名は、元禄時代に木曽日義村の古畑権兵衛が伊那の米を木曽に運ぶために峠道を整備したことからつけられた。東京有楽町は織田信長の弟の有楽斎の屋敷、八重洲は家康の外交顧問のヤン=ヨースチンの屋敷、目黒の権之助坂は坂を切り開いた名主の名前に因んでいる。他に、岩手県紫波町五右衛門峠、山形県米沢市弥兵衛平、福島県北塩原村甚九郎山、群馬県尾瀬の治右衛門池、長野県塩尻市平四郎沢、山口県岩国市源九郎山、海に突き出た宮崎県延岡市作兵衛鼻等がある。名字が地名になった例は多くない。岐阜県の旧海津郡平田町(現海津市)は木曽三川の治水工事に命をささげた、薩摩藩家老の平田靭負(ゆきえ)の名をとったものだ。名古屋市東区徳川は尾張徳川家からいただいたものであり、愛知県豊田市はトヨタグループの創始者豊田佐吉翁の名であることは良く知られたところである。東京赤坂の乃木坂は言うまでもなく、乃木希典大将の名前だ。ほかに東京は、旧幕藩時代の武家にまつわる地名が多い。なお、北アルプスの野口五郎岳、黒部五郎岳の名は、岩が「ゴロゴロ」している山の意味であり、熊本県芦北郡にある赤松太郎峠、佐敷太郎峠、津奈木太郎峠、大分県北川町宗太郎越の「太郎」は「たら・たろ・たる」というなだらかにたるんだ地形名を意味している. ところで、石川県小松市の安宅ノ関にある人名地名は当然「義経」かと思いきや、何と「義仲町」だ。都に上る際に通過したのだろう。愛知県新城市信玄は、間違いなく武田信玄ゆかりの地名だ。
   左《滋賀県東近江市の黒丸PA》c0134145_18342418.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                            
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# by baba72885 | 2007-12-28 20:47

渡来人ゆかりの地名

訪ねまほしき渡来人の里                                                      中国春秋時代(BC5世紀)の「呉」「越」の熾烈な戦いのさなか、多くの落人がボートピープルとなり、黒潮に乗って日本にたどり着いたといわれている。彼らは日本に稲作を伝えたのだろうか。まさか瀬戸内海の「呉」や北陸の「越前・越中・越後」が彼らの故郷の地名ではあるまいが・・・。ただ、後の世には「呉」の故地から来た渡来人によって、「呉服」や「呉音」という漢字の読みが伝わっている。中国・朝鮮半島からの渡来人は、遠く氷河時代から縄文・弥生時代まで連綿と続き、歴史時代になっても、戦乱時の亡命者のみならず、古代日本国の基礎作りに貢献した文化人や技術者集団等が渡来した。                              ○渡来人関係の記録を年表で見よう(参考)「新編日本史図表」第一学習社            4C中ごろ 王仁(わに)、阿知使主(あちのおみ)ら渡来                        404 倭軍、高句麗に敗北                                         4C中~5Cごろ 朝鮮半島の戦乱で渡来人が増加                           513 百済より「五経博士」渡来                                       540 渡来人の戸籍を編む                                         577 百済から造仏・造寺工が渡来                                    608 新羅人が多く渡来                                           609 肥後国に80人の百済人漂着                                    610 高句麗から曇徴(どんちょう)が渡来し、紙の製法を伝える。                  660 百済滅亡                                                 663 白村江の戦いで、日本・百済連合軍大敗                             666 百済人2千余人を東国に移す                                    668 高句麗滅ぶ                                               669 近江国蒲生郡に百済人700余人を移す                                       滋賀県日野町から東近江市にかけて百済人が配され、旧愛東町には名高い「百済(ひゃくさい)寺」がある                                           676 新羅が半島を統一                                           684 百済人23人を武蔵国に移す                                     687 高句麗人56人を常陸国、新羅人14人を下毛野国に置く                   689 新羅人を武蔵国、下毛野国に置く                                  711 上野国に多胡郡設置                                         715 新羅人を移し、美濃国席田郡設置                                        岐阜県本巣市席田(むしろだ)として、地名に残っている                 716 高句麗人1779人を、東国の七国に置く 同年武蔵国高麗郡設置                  埼玉県日高市から飯能市南高麗あたりが「武蔵国高麗郡」であった。日高市には「高麗山聖天院」と「高麗神社」、JR[高麗川駅」、西武線「高麗駅」がある。東京都狛江(こまえ)市には、高句麗系とみられる「亀塚古墳」がある。神奈川県大磯町高麗は花水川の右岸にあり、付近には「高来神社」がある。また、相模一ノ宮のある「高座(こうざ・たかくら)郡」は高句麗系渡来人によって開拓された地である。山梨県巨摩(こま)郡や東京都狛江(こまえ)市も高句麗系にゆかりの地名だ。狛江市には多摩川左岸に駒井(こまい)町があり、「こまえ」から派生した地名だろう。
                                   758 新羅人74人を武蔵国に移し、新羅郡設置 
 埼玉県新座市・和光市・朝霞市・志木市周辺がこの「新羅郡」とされている。「新羅郡」は後に「新座(しらぎ)郡」と表記され、新座の字面からやがて「にいざぐん」と言うようになった。                760 新羅人131人を武蔵国に移す。                                                                                   ○ 渡来人の面影を求めて旅してみよう                                                                                             《コマ・コウライ》                                                  狛犬 高麗人参 独楽 駒(馬は中国から)                  三重県伊勢市高麗広(こうらいびろ)は伊勢内宮から五十鈴川を遡った山間の里で、紅葉の名所でもある。京都府の南部、木津川を挟んで、精華町「下狛」と木津川市山城に「上狛」があり、JRや近鉄線の駅名にもなっている。大阪府柏原市一帯は旧若江郡「巨麻郷」、渋川郡許麻(こま)、大県郡「巨麻郷」の地である。奈良県桜井市狛は三輪山の南東にあり、名刹長谷寺にも近い初瀬川流域の集落だ。付近には竜谷・出雲・初瀬・白河等の地名がありそれぞれ歴史的な由緒を感じる。鳥取県大山町高麗はもとは高麗村であり、高麗小学校、公民館の高麗分館がある。鹿児島市高麗町は市街地の中に位置している。蛇足だが「新宿コマ劇場」はその舞台が独楽(コマ)のように回るから名づけられたという。                                            《カラ》                                                       日本人は古くから、はるか遠く中国・朝鮮半島やインドを「唐(から)」「天竺(てんじく)」と言い慣わしている。佐賀県の唐津や福岡県の唐泊、鹿児島市の唐湊は海外への出港地を示す地名だろう。奈良県田原本町唐古(からこ)は韓(から)からの渡来人の住んだ地と言われている。島根県大田市仁摩には「韓島」という小さな島があり、大田市大浦のことをかつては「韓浦」と呼んでいたこともあり、「韓神新羅神社」の存在からしても朝鮮半島からの渡来人を思わせる。「カラ」が訛った地名になって残っているのが、群馬県甘楽(かんら)郡甘楽町とそこを流れる鏑(かむろ)川がある。また、群馬県多野郡万場町と中里町が合併して出来た神流(かんな)町は清流神流川からとった名前で、やはり「から」から発音が転訛したものだ。多野郡吉井町には国指定特別史跡の「多胡(たご)碑」がある。この碑文は謎が多いが、711年にこの地に「多胡郡」を設置したことが見える。果たして、多胡とは多くの渡来人を意味するといわれているのだが。                             《シラキ シラギ》                                                宮城県柴田郡川崎町支倉(はせくら)はかつての「陸奥国柴田郡新羅郷」だ。支倉には新羅人の供養塔があり、渡来人への熱い思いを感じる。福井県敦賀市白木は新羅人の名からきた地名で、そこに「白城(しらぎ)神社」がある。福島県猪苗代町白木城(しらぎじょう)、鹿児島県大口市白木も新羅人ゆかりの地で「新羅神社」がある。大阪市の住吉大社の神宮寺を「新羅寺」ということからすると、その付近に新羅人が居住地したことを思わせる。なお、全国各地にある「新羅神社」「新羅明神」は「御神体」が移動していったと考えられ、そこが必ずしも新羅人の渡来地とはいえない。(長野県阿智村「新羅明神社」 岐阜県多治見市「新羅神社」 新潟県上越市関山「新羅明神」 山形県高畠町「新羅神社」 青森県南部町「新羅神社」 山梨県南部町「新羅神社」 滋賀県大津市膳所「新羅明神」 京都府宇治市「新羅神社」 大阪府河南町「白木神社」 大阪市浪速区「白木神社」 兵庫県姫路市「新羅大明神」 岡山県瀬戸内市「牛窓「新羅明神」 島根県大田市「韓神新羅神社」等)                       《クダラ》                                                      奈良県広陵町百済には「百済寺」があり、集落は曽我川と葛城川に挟まれた条里制のしかれた水田地帯にある。大阪市平野区から生野区あたりは古くから渡来人が住み、平野区の平野川に架かる橋を「百済橋」といい、旧平野川を「百済川」といった。滋賀県東近江市には名刹の百済寺(ひゃくさいじ)がある。熊本県の八代市久多良木には百済来川が流れ、百済来地蔵堂がある。宮崎県美郷町の旧南郷村には「百済の里」がある。滅びた百済の王族が流れ着いた地であり、ゆかりの神社や古墳もあるということで、村おこしの一翼を担っている。                                左《奈良県広陵町百済》       右《西武鉄道高麗駅》c0134145_22215541.jpg                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                     c0134145_1951441.jpg
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# by baba72885 | 2007-12-13 19:38